穏やかさを味わってみる
『捨てる』が一旦落ち着いたので『整える』に移行することにした。
最近の私は突拍子もないことをしたい気持ちと、安定して穏やかに過ごしたい気持ちがせめぎ合っていて自分でもよくわからなくなっている。だからまず、迷子になってしまった気持ちの整理から。
あまりにも多すぎた持ち物を減らしたことで思考は一気にシンプルになった。視覚刺激が減ったからなのかあれこれ考えすぎることもなく、いわゆる『のんびり』する時間が増えた。
今までの私は自分の部屋にいても、マグロのように常に動いていないと落ち着かなかったのでこれはものすごく大きな変化だという実感がある。
早めの夕飯を済ませるとのんびり1時間くらいかけてnoteを書いて、そのあとまたのんびり好きなことをして早めに寝る。
絵に描いたような穏やかな生活だと思う。
ずっと憧れていた。そうやって過ごせたら幸せだと思っていたし、その通りだった。
その一方で、今しかできないことを片っ端からやってみたい、もっと動きたいという気持ちもむくむくと湧き上がっている。
果たしてこの二つの気持ちは両立するものなのか。
と、書いて気付いたけど『穏やかな生活』に飽きたら突拍子もないことすればいいのか。
なんだ、そんな簡単なことだったとは。
『やってみたいことは何でもやる』なら、今ここにある安定感と穏やかさも思う存分味わえばいいのだ。
明日から失恋したっていうの禁止!と誰かに言われたわけでもないし、失恋のパワーはまだ温存しておいてここぞという時に発揮すればいい。
ひとまずこの穏やかさの中にいて、できるだけエネルギーを蓄えておけばきっと急にガス欠になることはないだろう。
この先何もしなくても大きな変化がいくつも待っている。その時になって狼狽えないように、今は安定してきた土台を補強して更に頑丈にしておきたい。
焦っていないつもりがどうやらまた焦っていたらしい。穏やかに過ごすことに慣れていないからか、これでいいんだろうかとソワソワしてしまったのかもしれない。
せっかちな性格なので先に先に意識が向きがちだし、こうやってゆっくり自分と向き合って言葉にする時間はこれからも大切にしていけたらいいな。
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そのお気持ちだけで十分です…と言いたいところですが、ありがたく受け取らせていただいた暁にはnoteの記事に反映させられるような使い方をしたいと思います。