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[SS]自由の証明

 散文2000文字のショートショート
 載せる気になれないのに載せる



 何らかの衝撃音とよく響き渡る救急車の音で目が覚めた。緊張感を与えるあの音が、小さい頃怖くて嫌いだったが、今となってはどうでもよくなってしまった。
 うるさいものはうるさい。
 それがどんな命を運んでいたとしても、俺にはきっと少しも関係のないことなのだろう。

 バイトに行く為に歩いて2分の最寄駅に向かう。
 あ。駅にめちゃくちゃ救急車とかパトカーが停まっている。
 なるほど人身事故か。だからさっきあんなにうるさかったわけだ。

 運転再開はまだ未定らしい。バイト先には電話して遅れる旨を伝えるか。ぶっちゃけあまりにだるいので休んでしまいたいが。

 電話をするが、何故か繋がらない。まあいいか。遅延証もらって謝罪すりゃいい。
 どうせあの職場、俺がいなくとも業務がまわるのだから心配することもない。
 再開するまで駅の近くのカフェ的なところで待つことにした。
 案の定ここで運転再開を待つ人でごった返しだが、俺一人が座れる席はなんとか確保できた。
 そういえば起きてから何も腹に入れてないような。どうでもいいことだから完全に忘れてしまっていた。
 まあ何か食べておいた方がいいのだろう。温かい紅茶と一緒に安いクッキーを頼もうと思ったが、そんなに腹減ってもないので、飲み物だけ頼もうかな。
 周りには色んな人が座っている。
 スーツを着てこれから会社に向かおうとしていたおっさん、ぺちゃくちゃ喋り合うOL、スマホで電話している学生、何語話してるのかよくわからない人達、向こうの喫煙ルームでは若い女が渋い顔してヤニっている。

 俺は、そこにいる人たちが疲れ切ってはいるものの、全員しっかり生気に溢れているように感じた。
 目標とか目的があって、大切なものがあってそれを守ろうとしている。
 そう感じたら、突然強烈な悪寒が走り、冷や汗が止まらなくなった。
 睨まれている気がする。
 心底恨まれてるような感覚だ。
 ここにいたら、何か重いもので全身をすり潰され粉々になる気がした。
 俺は席を立った。するといつの間にかそこには俺以外の人が座っていた。
 早技にも程があるだろう。

 駅中に入る。
 改札には規制線が貼られていて、運転再開未定だとパネルに書かれてある。
 そんなに遅いことってあるのか。どうも頭部が見つからないらしい。
 まあどうでもいいんだが。
 早く見つかるといいな。でも多くの犠牲を出してまで命を投げ出すほど、生きるのにうんざりしていて、重くて重くて仕方のないその頭なんかもういらないよな。今更だよな。

 それにしても、だ。
 どうして頑張らないといけないのか。
 ここで補足しておかないといけないことがある。俺という人間は自発的に頑張るという気持ちが湧いてこなくなった、いわゆる社会の故障品だ。この俺の頭を修理して調整できるものならしてみてほしいものだ。
 必然的にその時偶々周りにいた人間が俺に頑張れと言ってきた。
 しかし俺は少しも頑張ろうと思わない。俺としては頑張れと言われた人の為に頑張らないといけないのか?という解釈をしている。
 頑張らなくても一人で生きれることを、俺は学んでしまったからだろう。確かに、治安の良いところに住んで、高いレストランに行ったり、何日間も旅行に行ったりはできる良い生活は送れなかった。
 でも、過去の俺を見習ってみろ。何も欲さず諦観するようになれば、本当に最低限の仕事で1ヶ月乗り切れた。もうどうにでもなれと言わんばかりに。
「お金を稼ぎ更に良い生活をしなさい」
「恋人を作って結婚して幸せになりなさい」
「家族を大切にして、親からもらった体を自愛しなさい」
「友人を作り仲を深め合いなさい」
 こんなハッキリした物言いはしないが、健全な人たちはこうやって言いがちだと思う。
 そんな言葉を聞く度に嫌悪感に苛まれる。嫌悪感を感じる度に、俺は社会にいてはいけない存在だと再認識した。
 自由になりなさい、なんて誰も言わなかった。
 なんなら、自由のなり方を、皆探索しようとも思わないのかもしれない。
 俺にとっては、恋人とか仕事とか家族よりも、もっと喉から手が出るほど欲してる物こそが自由だったんだ。

 俺みたいに、守るものがない人間は最強だ。一番自由という概念に近いと思う。
 人間関係とか、情報とか、権利とか、全部社会から人を遊離させないようにする為に存在してるもので、人間の核として残っているもの、例えば恐怖とか、プライドとか昔の記憶とか、それすら超越した先に自由があると思っていた。

 多様性が謳われる時代にはなった。自由になれるかと思ったが、俺はそれを肌身で感じることはできなかったし、絶望している。
 多様性が認められてきたとはいえ、やはりマイノリティは戦い訴え続けなければいけない。俺は戦いたくない。平穏に過ごす為に戦うのは、理屈はわかるけど、嫌だ。
 俺は知っている。どんな環境であっても必ず虐げられる人間は存在してしまうということを。

 手の施しようがないレベルで捻くれてはいるが、誰か一人でも良いから、理解しようとしてくれる人がいたら、少しは違ったのかもしれない。
 もしかしたら、今までに数人はいたのかもしれない。
 それに気づけなかった時から既に俺は終わっていたのだろうか。
 自由になりたいのは弁明であって、実は本質ではなかったりするのだろうか。

 時は既に遅かった。
 答えは永遠に出ない。
 俺が最初で最後の証明者で在りたかった。

 どうも頭が見つかったらしい。
 これの回収が終わり、警察の現場検証とか線路やら清掃が終われば運転が再開するのだろう。



 ご精読ありがとうございました。

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