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amebic

盛大にネタバレ。というか衝動書き

怖かった。とにかく恐怖で、あ、大丈夫なの?死んでしまったのではないの?彼氏は誰?婚約者は誰?もしかしてすべて「私」の分裂したものが表す幻覚?とか思って読後ぐるぐるした。なにより、錯乱したときの文章が読みやすくて、あこれ考えるわ、と思ったし、分裂するかんじ、身体の一部分であるものが自分のものではなく離れてある感じ、すごい分かる。もしかしたら誰だってこんなふうに狂ってしまうのかもしれない。というか人間の深層にはこういう狂乱が潜んでいるのでは。


この作品を読むにあたり、私は定義を失いそうになった。正常とはなんなのか。作中の「私」のように薬物に頼りジュースと酒を飲んでいる生活は間違っているのか?最大公約数的な人間のしていることこそが正常なのか?作品を読んでいると、食べ物を食べるという行為がとてもおぞましく汚ならしい醜いもののように思える。実際、食べ物って食べたくないときとても嫌なものに感じられる。無理して口に入れても粘土みたいで味がしないし、頑張って飲み干しても喉につかえて苦しくなるし。だからなんとなく「私」の気持ちは分かる。特にオリーブ油が滴るくだり、最高。


それとやっぱり生きていく、ということにはこういう苦悩や葛藤がつきものだし、狂ってしまうことも一度や二度ではない、と私は思う。どこかの本で読んだのだけれど、人間はぼーっと生きているだけでも偉いんだとか。生きることに付随した数々の苦しみや困難は、ただぼんやりと毎日をやり過ごしていたって変わらず襲い続けてくる。そう考えると人間は精神的なところじゃ平等だな。や、人それぞれのメンタルの強さにもよるかもしれないけどさ。


とにかくamebic。未だ怖さが拭いきれないが、確かに金原ひとみさんの書く作品で、彼女にしか出来ない表現で、恐ろしさで、リアリティを持ってる。アッシュベイビーや蛇にピアスにも見られる、不安定さや独特のテンポが見られて、私は好きだ。



あとこれはただの疑問だけど換気扇。最後、換気扇の中の「私」と目が合ったような気がしたんだけど、どういうことなんだろうか。一度読んだだけだからまだ分からないが、アレは彼氏の言ってた通り、彼氏に殺された「私」?でもその後、彼氏は死んだように動かないという描写がある。私が彼氏を殺してしまったのか、それとも彼氏なんていなかったのか。個人的には彼氏も婚約者もタクシードライバーもこの世のすべてのものが「私」の分裂体で、切り離された一部であり、それらが「私」本体が遂に死ぬことによって共に滅びてゆくんじゃないかと思った。ということはこの作品自体「私」の虚構である。金原さんによって 作り出された虚構である作品の中の「私」。その「私」の中の虚構、みたいな二重構造。ま、本当のところは、金原さん以外分からないでしょうけど。



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