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Walk with JOJO その⑤

(前回その④はこちら)

待望のフィギュア化

第6部の連載が走り出した2000年、ジョジョでは初めてのフィギュアシリーズ『ARTFX』がコトブキヤから発売された(可動スタンド+固定ポーズ本体のセット)。スーパーファミコン版第3部ゲームの攻略本に掲載されていたガレージキット(ヘビーゲイジ)は既に第5部ギアッチョ戦が連載していた頃に一般販売されていたが、自身で組み立てる必要があり出来も己の技術に左右される。ブリスターに入った本格的な完成形のフィギュア製品はARTFXが初めてだったはずだ。
ブリスターフィギュアというのは、自分の記憶では1997年の映画『SPAWN』からのアメコミブームを経て見かけるようになったイメージ。しばらくは基本的にアメコミもしくはスター・ウォーズ等海外の作品ばかりだったのが、徐々にドラゴンボールだとか北斗の拳、キン肉マン等ジャンプ黄金期作品を見かけるようになり、ようやくジョジョにもブリスターフィギュア化の順番が回ってきたという印象だった。ブリスターフィギュアのマニアを題材にした伊藤英明主演の映画『ブリスター!』もこの2000年の公開だ。DVDを借りて観て結構面白かった記憶がある。

コトブキヤのARTFX第3部シリーズは、最終的に「花京院&ハイエロファント」、「ポルナレフ&チャリオッツ」、「DIO&ザ・ワールド」を購入した。それまでほとんど縁のなかった自分の行動範囲内のホビーショップ(下北沢南口の「ホビーショップサニー」、渋谷スペイン坂にあったゲーム等のセレクトショップ「bit TOUR's」、渋谷PARCO Part1の6Fにあったホビーショップ等)に通い、次の商品がいつ頃発売になるのか、入荷していないかを確認したり、陳列されている未購入商品を指を咥えて眺めたりする日々だった。勝手に「在庫商品は売れるまで店頭に出続ける」と信じていたため、買いそびれていた商品が下げられてしまうとショックを受けたりした。
ARTFXのスタンドのアクションフィギュアは、今の超像可動シリーズに比べると可動域も狭くポーズをとらせるのも少々難しいものだったが、質感や造形等は超像可動よりも好きと思えるものもあった。個人的にハイエロファント、チャリオッツ、それに後の第5部シリーズのキング・クリムゾンは超像可動よりも質感が良いと思う。また、後の第5部シリーズでは超像可動ほどではないが可動域も改善されていた。

なおジョジョに限った話ではないが、この時期からコレクション系フィギュアやプライズ景品フィギュアが増えていき、それに伴いクオリティも上がっていく。これには前年大ブームを巻き起こしたチョコエッグ(日本の動物コレクション第1弾)、同じくブームになったペプシのボトルキャップ(スター・ウォーズ エピソード1)が、手の込んだ造形物への一般的な見方・価値観を変えた影響も大きそうだ。プライズ景品にもジョジョフィギュアが出るようになった。自分の場合は気になるものがあった場合に、ゲーセンで取る腕前に自信がないので主に渋谷の「まんだらけ」に物色しに行くようになった。
余談だがUFOキャッチャーの歴史をまとめたページを見ると、景品はそれまでお菓子ばかりだったのが1980年代後半にぬいぐるみメインとなり、フィギュアが多くなったのは2010年代とあった。2000年代にプライズフィギュアが並んでいたジョジョは大分先を行っていた(恵まれていた)のかもしれない。

OVAがDVDに

以前にVHS等で発売したOVAのエピソード(エジプト編)に、第3部前半のエピソードを加えたDVDも、この年販売が開始され、そのVol.1が自分が初めて購入したDVDソフトになった。…といってもDVD再生機を所持していなかったので購入後すぐには観ることができなかった。同年に発売し、DVD再生機としても注目されていたプレステ2はまだ購入していなかったし、8月にMacをそれまでのPerforma 5440からディスクドライブのあるiMac DV Special Editionに買い替えるまではお預けになったのだった。
ちなみにVol.1はコンビニの「デジキューブ」で購入している。各巻に封入のタロットカードを収納するためのクリアファイルが特典についたためだ。知らない人もいるかもしれないが、デジキューブはコンビニでゲームソフトを販売する先駆けとなった販売網で、1997年に『FF7』のメイン販売ルートとなったため存在感がでかかった。もっとも、ジョジョOVA発売の頃には下火になっていたようだ。

辛かったジャンプフェスタ

年末には再び荒木先生が登場するというので、幕張メッセでの『ジャンプフェスタ2001』へ足を運んだ。前年に比べれば司会者のレベルが高く結構コアな質問を荒木先生にぶつけていたようだ。この年はステージ上で事前抽選に当たった読者へのサイン会が行われたのだが(もちろん外れた)、どうも当選者にはメイン読者層と思われる世代よりも大分若い…平たくいえばこどもが多い状況で、一緒にいたファン仲間とぶつくさ言っていた。
また、カプコンステージでも終盤に荒木先生が登場した。ここではその時点で「2%くらいしか出来ていない」というPS2版第5部アクションゲームの開発が発表され、荒木先生は時間が押しているからという理由で、「ブチャラティのジッパーがどう表現されるか楽しみ」という一言だけの出番だった。
ジャンプフェスタで最悪だったのはポスターを買うために5時間並ばされたことだ。自分達の並んでいるブロックだけ釣り銭トラブルが原因で進むのが遅く、いつの間にかほぼ最後尾となり、幕張メッセで「蛍の光」が流れ終えてからも30分くらい掛かった。

ジャンプ掲載のレポート

ジャケット・荒木飛呂彦

ジャンプフェスタと同じ12月、荒木先生が初めてジャケットイラストを手掛けたSUGIURUMNのアルバム『MUSIC IS THE KEY OF LIFE』がリリースされた(※『バオー来訪者』OVAのサントラ等、自作のメディア展開でイラストを描き下ろすことはあった)。これは自分にとって大きな出来事だった。自分のサブカル趣味において、漫画における趣味…ジョジョ的なものと音楽における趣味は、これまで必ずしも近くはなかったからだ。ジョジョを読んで引用された洋楽を聴くことはあれど洋楽大好きというほどではなかったし、例えば好きな日本のミュージシャン・バンドが雑誌等で漫画を語っても、お洒落だったりマニアックだったり一方向にトガっているものが多く、王道のジャンプ連載漫画なんてわざわざ…という雰囲気があった。(MOOLSというインディーズバンドのアルバムに"バオー・来訪者"という曲が収録されていたことはあった)。
東京に出てきてからの自分の音楽趣味は、当時売れていたメジャーな存在よりは、雑誌「ROCKIN' ON JAPAN」でよく取り上げられるいわゆる「ロキノン系」をメインに、お洒落なイメージのあるいわゆる「渋谷系」の一部をつまみ食いするような感じだった。もっと細く言えば、当時下北沢の街を中心に人気を呼んでいたようなバンドが好きだった。下北沢でインディーレーベルをたくさん取り扱っていたハイラインレコーズで売れたバンドが、メジャーに出ていくといった流れがあったように思う。
そして、そうした下北沢界隈である意味アイドル的な人気を博していたギターポップバンドが、ELECTRIC GLASS BALLOON(エレグラ)。その中心メンバーが、バンド解散後にハウスDJ・SUGIURUMNとして活躍する杉浦英治だった。自分はエレグラのアルバムを1枚持っている程度だったが、追いかけていたPLAGUES、GREAT3等のファン仲間の女性にエレグラはかなりの人気を誇っていたように思う。だから荒木先生がジャケットを描いたと知ったときには、日本の音楽の、しかも自分の好きなジャンルに近いところが「最初に」クロスオーバーしたことが嬉しかったのだ。ちなみに杉浦英治はタワーレコードのフリーペーパー「bounce」の漫画特集で、好きな漫画の筆頭にジョジョを挙げていたので結構信頼している。

bounceの記事
アルバム宣伝フライヤー
裏に荒木先生のコメントあり

このアルバムはイラストの背景がイエローだが、収録曲を分割したアナログ盤が2枚リリースされており、背景ブルーの『THE RIGHT PLACE』、レッドの『THE RIGHT TIME』があった。これは翌年2月に行われたSUGIURUMNやGREAT3が出演し、「JAPAN」スタッフもDJをするイベントの物販で購入した。

思うに、ジャケットイラストが実現する少し前にはロッキング・オンの「JAPAN」や同社の「buzz」でも荒木先生のインタビューが掲載されていたし、2000年は漫画・アニメ・ゲーム等のかつての「オタク的な分野」から、より広いジャンルへ荒木先生が「発見される」始まりの年になったのではないか。第6部の滑り出しというきっかけに合わせて、それまでの長期連載で積み上げた実績やファンの力が徐々に発揮されだした年、と言い換えてもいい。

buzzインタビュー
JAPANインタビュー

(つづく)

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