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Walk with JOJO その④

(前回その③はこちら)

石の海への助走

ジョジョ第5部の終了後、集英社の雑誌ALLMANで短編『デッドマンズQ』が3号連続して掲載された。1話目の後半で明かされる主人公の素性には興奮した。また、短編で登場した「屋敷幽霊」の概念が、後々第6部でもエンポリオのスタンドとして採用されたことは、答え合わせのようで判明したときに楽しかった。なお、この短編の主人公については、名前と性質を受け継いでいるものの、本編の彼とは別物の存在と自分は解釈している。
そしてこの『デッドマンズQ』を含む荒木飛呂彦短編集『死刑執行中脱獄進行中』が11月に発売された。注目すべきはこの愛蔵版コミックスに着けられた帯。裏表紙側に「荒木飛呂彦新連載!!ジョジョの奇妙な冒険PART6 ストーンオーシャン」「2000年新年第1号より連載開始!!」の文字が踊り、イラストカットが掲載されていた。第5部がサラッと終わってからというもの、待ちに待った告知だ。カットの鉄格子に手錠で繋がれた特徴的な髪型の主人公は、この時点では性別も不詳。分からないことだらけだがとにかく期待に心踊った。第3部や第4部の開始時には、これまで親しんできたジョジョが一体どんな風に変わってしまうのかという不安がつきまとっていたが、第5部までを経てそれは杞憂であること、醍醐味であることがようやく自分にもわかってきたということだろうか。荒木先生への信頼を前提に「次はどんな話を読ませてくれるんだろう」と素直に楽しみにする余裕が出てきた。

第6部を告知する帯

新連載・ジョジョ

12月上旬、初めてのインターバルを経て第6部が連載開始。ロゴも一新しタイトル「ストーン・オーシャン」が常に表示される形になったことや、「スタンドの概念」に気付く段階が丁寧に描写されていることから、長期連載作品をより分かりやすく仕切り直して新規読者を獲得しようとしているのだと感じた。第5部連載中からネットでは掲載順を見て「打ち切りの危機」だのと騒いでいたので、こうした施策は色々な意味でジョジョの人気が「試されている」ように思われた。そのため、この頃は土日に早売りの書店でジャンプを購入し、真面目にアンケートを記入しては投函するルーティンができていたと思う(ジャンプのアンケートは初速が大事だと何かで見た)。ちなみに早売りジャンプは、高田馬場にあった新宿書店(その後新宿アルタ裏→新宿小滝橋通りと移転)で買っていた。早売りを求めるようになるまでは知らなかったが、雑誌以外は18禁の漫画ばかり置いているような店だ。

初の「生」荒木先生・卒論・携帯電話

第6部開始から間もない12月中旬には、荒木先生がイベントステージに登壇するというので初回の「ジャンプフェスタ2000」(東京ビッグサイト)へ行き、会場で合流したネットでお馴染みのジョジョファンの皆様とオフ会をした。「初めて実物の荒木先生をこの目で見られる!」ということで大興奮だったはずだが、イベントの記憶は、第6部初回の扉絵になっている「鉄格子越しの徐倫」のポスターを買ったことくらいしかない。ちなみに初めて漫画家本人を目にしたのは98年11月・明治学院大学園祭イベントでのゆでたまご先生(ご両人揃っていたかは覚えていない)で、次は99年9月にサイン会でカネコアツシ先生。荒木先生は自分にとって3人目の「生」漫画家である。
ともかくネットで当時のレポートを探して読んでみると、ステージの内容は「足がグンバツの」女性司会者と荒木先生のトークで、話題はストーンオーシャンが女性主人公であることや構想について、あとは画集『JOJO A-GO!GO!』・OVA・ゲームについての簡単なコメント等だったようだ。
悔しいのは、前述のポスターと同じイラストのリトグラフが2〜3万円、限定50枚で販売されていたこと。お金がなかったが、「無理してでも買え」と今からでも当時の自分の首を絞めてゲットさせたい。
なお、参考にさせていただいたレポートのページから、自分が書いて自サイトに掲載したレポートへのリンクがあったが、そのファイルは手元に見つけられなかった。

ジャンプにわずかに掲載されていたレポート

ちなみにこの時期は自身の卒論の提出期限の前後で、試験終了チャイム直前まで問題を解いている受験生のような必死こいた状態だった。特大の楽しみと特大の修羅場というイベントに挟み撃ちされている形になり、さぞ怒涛の日々だったのではないかと振り返る。
また、初めて携帯電話を持ったのもこの頃。自分がファンサイトを運営していたバンドPLAGUESのファンクラブ企画で、今で言うコラボモデル的な機種が購入できるというので、J-PHONEを契約した。機種は今思い返してもジョグダイヤルが便利だったJ-SY01。遂に手にした携帯は、ジャンプフェスタやその後のオフ会に大変重宝したものと思われる。

初めて持った携帯。左側のカラー

JOJO A-GO!GO!

2冊目のイラスト集『JOJO A-GO!GO!』は、第6部連載開始号で初告知だったと思う。発売日が自分の誕生日の翌日(2月25日)というのも嬉しかった。発売日を迎え予約していた書店で受け取る際に「でかっ」と口に出してしまったジョジョアゴは、受け取ったときの袋のサイズが手提げするには微妙すぎて、かえって運びにくい抱える体勢で自転車をこいで家まで帰った。
ジョジョアゴは美麗なイラスト集(Disc.1)の価値はもちろんだが、荒木飛呂彦本人に迫る特集冊子「Disc.2 ARAKI HIROHIKO」こそ情報量が多く読み応えがあって嬉しい本だった。今でこそ『荒木飛呂彦の漫画術』や『荒木飛呂彦の超偏愛!映画の掟』など作者本人の技術やルーツに迫れる新書も発刊されているが、ジョジョの背景を知る上でこの「Disc.2〜」以上に"濃い"資料は当時なかったはずだ。

JOJO A-GO!GO! 告知チラシの表紙・裏面
JOJO A-GO!GO! 告知チラシの中面

また、ジョジョアゴの発売と同時期に初めてのガシャポンフィギュアが発売になっている。最初は承太郎とアヴドゥル、それぞれのスタンド、それにジョセフの計5種。ちょっと大きな街へ出れば1箇所はガシャが集中したスペースがあるような現在とは違い、見つけるのに苦労した覚えがある。だが、ジョジョに関して「本や映像メディア以外」で一般流通するこうした「グッズ」が発売される流れは、この頃から始まったのではないかと思える。この年(2000年)は、コトブキヤから初のアクションフィギュアのシリーズ『ARTFX』の発売も始まっている。

さて、この年自分は大学を卒業したものの…氷河期の厳しさに新卒での就職を諦め、都内某商社内の雑誌編集部門で3月中旬からフルタイムのバイトとして働くこととなった。長いバイト生活が始まった。

(その⑤へ)

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