見出し画像

Walk with JOJO その②

(前回その①はこちら)

暗黒時代とインターネット元年

1年目のキャンパスライフはつらいものとなった。

つらいものとなった

勧誘されるがまま入った文化系部活動。はじめは楽しくやっていたが、主体的じゃないくせに調子に乗りやすい性格が災いし、夏季休暇に入ってそれまでつるんでいた部内のグループからハブられた。その後浮いた存在と化したまま活動は続けたが、年が明けてから顔を出さなくなりフェイドアウトした。溜まり場だった学食の一角にも行けなくなり、クラスでも友人と呼べそうな人は1人くらいだった自分は、大学に居場所を失おうとしていた。そんな時期に、クライマックスに向けて盛り上がりを見せていたジョジョ第4部が滅茶苦茶に面白かったのは救いになった。
新たな居場所になったのは、情報通信室だ(正式名称は忘れた)。学生が自由に使えるデスクトップPC設置の席が40くらいある部屋で、Macとそれ以外(まだWindowsじゃなかったと思う…)が半々だった気がするが、自分はMacばかりで、その頃世間的にも話題になり始めていたインターネットに触れた。ブラウザはIEでもChromeでもない、かといってSafariでもない。Netscapeだ。学生には学籍番号そのままのアカウントが用意されており、 メールも使えた。携帯でメールなんてまだまだ先の話。Windows95が発売した11月から間もない頃だったし、特にITに強い学部がある印象でもなかったうちの大学の割には、ネットの導入が早かったのではないだろうか? とにかく、おかげで講義の合間にPC室に入り浸る日々が始まった。ことあるごとに入力していたので、アカウント=学籍番号は今でも覚えている。
最初に入り浸ったサイトは高校時代にファンになった佐野元春の公式(Moto's Web Server)だった。当時から先進的と雑誌等でも紹介されていたサイトのBBSには活発な書き込みがあり、知見あり、揉め事あり、「これがインターネットか」と思った。自分が掲示板デビューするに当たってのHNは、当時「矢印」がマイブームだったし、ジョジョの「To be continued」矢印は名物だし、「大きさと向きを持った量」という中2っぽい定義が気に入ったので「ベクトルマン」とした。そのうちネットの知り合いからは「ベクさん」と呼ばれるようになり、元のHNを名乗るのも恥ずかしくなってきたので「べく」になり、今日に至る。
少し話は逸れるが、荒木飛呂彦と佐野元春はアーティストとしての姿勢が結構似ていると思う。常に挑戦的であり過去へのリスペクトも深い。そして自分にとっては未知の「よいもの」を彼等流に料理して見せてくれる紹介者達だった。どちらも一部の人にパクリ呼ばわりされることがある点も似ているが、貪欲なインプットの結果がそう見えるだけだと思っている。

引力=愛!

さて、インターネットを始めたなら「ジョジョ」で検索しないはずもない。その結果たどり着いたファンサイトがあった。当時本当に数えるほどしかなかったファンサイトのひとつ、その名は「ジョジョの奇妙なページ」、運営者はTKG氏。シンプルな作りのサイトだったが、TKG氏が手動で更新する掲示板があった。手動更新とは、つまりTKG氏が受け取ったメールを自サイトに掲載するのだ。すでに自動で投稿を受け付け反映するBBSはあったが、トラブル回避のために一旦TKG氏を経るみたいな管理運用だったと思う。だからどうしてもタイムラグはあったが、リアルタイム伝言板という名称だった。
掲示板は語り場を見つけたジョジョファンの熱気に満ちていた。見つけた時にもう第5部が始まっていたかどうか覚えていないが、主人公があのDIOの息子ということもありみんな考察のし甲斐があったのだろう。それでなくても、これまで4回も主人公が交代し、多数のキャラを生み出し、幾年も続いてきた作品だ、同好の士と語り合うのに文字通り話題は尽きなかった。暇さえあればPC室に掲示板が更新されていないか確認しに行った。
掲示板にはこれまで実生活で出会ったヌルい読者とは違う、初めて会う「濃い」ファンがたくさんおり、彼等から得る知識でジョジョへの理解が深まることに興奮した。(※ここから語る個人のエピソードは、時期が前後する可能性があるので注意)
中でも印象深いのはK-Rさん。今ならもっと濃くて網羅的なサイトがあるかもしれないが、彼女がジョジョの元ネタをまとめたサイト「荒木飛呂彦作品元ネタ検索HP」は当時随一のとんでもない情報量だった。所持する情報だけでなくK-Rさんの荒木マニアっぷりは本当に凄いとしか言い様がなかった。きっかけは思い出せないが(自分がSUGIURUMNのフライヤーを送ったからとかだったかな)荒木飛呂彦関連のお宝の"コピー"(文字通りの複写)を大量に送ってくれたことがあり、コピーとはいえ現在に至るまで大事にとっておいてある。数々のサインに、よくこんなのあるなというテレホンカード、ジャンプの懸賞グッズまで、網羅ぶりに目眩がした。

あくまでコピー
どうやって集めるのコレェ…
あくまでコピーの一部

さらにはジョジョの単行本に似せた装丁・判型でなんと180Pある同人まとめ本も頂戴し、それが自分が初めて手に入れた同人誌となった。内容は第4部の面々のノーマルありBLありのエロパロなどだった(笑)。
BL…当時は「やおい」と言った…を知ったのも「ジョジョの奇妙なページ」の面々によるチャットではなかったか。女性ファン同士が左だの右だの符牒を使って喋っているのを見て、ようやくそういう世界があるのだと察し、「やおい」について教えてもらったのだった。それまで触れてきた同人文化といえば、書店に積まれていた「知ってる漫画なのに」何故か絵柄の違う表紙や、中学の時に好きだった女子がまた明らかに絵柄の違う「聖闘士星矢」の黄金聖闘士がプリントされた紙袋を持っており混乱した経験くらいだ。ディープな文化に触れていろいろと発見があるのも新鮮だった。
大学のPC室で「ジョジョの奇妙なページ」を見ているだけで、学生生活2年目の1996年度はあっという間に過ぎた。ジョジョをネット仲間と共に追いかけること、あとは東京に来てから好きになったバンド等のライブに通うことが趣味の中心になっていた。

ジョジョオタ行き超特急

この頃、個人的な推しキャラができた。ジョジョキャラは皆好きな一方で特にコイツが好きだ!というのもいなかったが、ファンが集まれば好きなキャラのプレゼンが始まるのも然り。そこで出すのにちょうど良かったというと語弊があるが、それがまさにサーレーだった。序盤のやられ役ながらトリッキー過ぎずスタイリッシュな見た目、少し狂気を感じるギョロ目もいいし、強さ議論でも割と名前の上がるスタンドクラフトワークも、そのデザインも良いし、単行本になって初めて本体名が判明する絶妙なマイナーさ加減もベネ。そして何より、短い登場ながら"人間讃歌のジョジョ"らしい前向きさを印象づけてくれた、ある意味ジョジョを象徴するキャラだと思う。

希望とやる気がムンムンわいてくる名シーン

ジョジョのエピソードでこの頃特に仲間内が盛り上がったのは、フィレンツェ行き超特急でミスタがプロシュートにヘッドショットを食らったときだった。ミスタは死ぬのか助かるのか、その話題で持ちきりだったと思う。ここまでの戦いでナランチャ・アバッキオ・フーゴの過去については程度の差こそあれ触れられたものの、それがなかったミスタが「死に煙」を漂わせていたのは衝撃だった。過去語りがまだだから生きる?死ぬ役回りだから過去省略された?ギャングものだからあっさり退場も十分あり得る、いやしかしポルナレフ億泰的三枚目キャラが死ぬのか…?と荒木先生の掌の上だった。

死に煙

話題の加熱に応えるようにこの頃、先の展開をああでもないこうでもないと語ることに特化したサイト(の原型)ができた。ジョジョの奇妙なページに投稿していたCON$さんによる「週感ジョジョンプ」だ。いまもサイトは残っているので当時のファンの盛り上がりを是非読んで体験してみてほしい。
後にジョジョのニュースを扱うモンスターサイト「@JOJO」を立ち上げたシャトさんの名前はジョジョンプへの投稿でよく目にした。ジョジョンプ周辺でオフ会などをして交流のあった人たちとは、現在に至るまでCON$さんを中心に師走頃に年一のペースで会っている(コロナ禍になってからはご無沙汰だが)。

リアルでは盛り上がれない分、自分の中で加熱していくインターネットジョジョ熱。1996年末から1997年の春頃のどこかで、ついに実家の自室からのネットデビューを果たした。時代はもはやWindowsだったが、大学でも操作に親しんでいたMacの入門機、黒いPerforma 5440を買った。お約束の高額電話料金問題で実家に迷惑を掛けつつもテレホーダイに加入してからは、23時直前に接続して明け方までネットし続ける生活が続いた。ネットに居場所を求めた人間がテレホに加入すれば誰だってそーするだろう。

さて。ネットに出会いこれまで濃いジョジョファン諸兄と交流してきて、自分のPCを手に入れたならば、やりたくなることは決まっている。自分のサイトを作ることだ。AdobeのPageMill 2.0Jを買って慣れないHTMLと格闘し、晴れて自サイトを公開したのは1997年の5月3日だった。

(その③へ)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?