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俳句だって「性(セックス)」を詠んでみたい

俳句にも「げてもの」があります。
そういう評し方には異論もあるでしょうが、鑑賞の仕方なんてのは、もとより自由なのですからいいでしょう。

あさまらのめでたき春となりにけり 藤田湘子

例えばこの句は、俳句趣味のひとならよく知っているものでしょう。
よく引かれます。(藤田氏は男性です)
「あさまら」とは何でしょうか?「まら」はわかりますね?「魔羅」つまり、男根のことですね。
「あさ」は「朝」ですよ。それ以外に考えられませんね。
「朝魔羅」は男性なら「ああ」とひざを叩くかもしれません。「朝立ち」のことなんです。
関東地方の殿方ならば、今も使うかもしれません。
健康な男子の象徴的な体の反応です。
「めでたき春」は、そりゃあもう「元旦」ですわね。
元旦から元気に息子さんがみなぎっている…「こいつぁ、春から縁起がいい」っていう寿(ことほ)ぎが現れているいい句です。

火山一つわれの性器も底鳴りて 金子兜太

「火山」はたぶん「活火山」でしょうな。
おのれの分身もまた、怒張し、マグマの噴出間近に高ぶっている…それは「地鳴り」のようだ。
兜太先生のいつ頃の作でしょうか。若さ溢れるころだから「性器」なんて学術用語を用いられる。
気恥ずかしさもあるんじゃないの?

げんげ田に鐵の性器のけぶりをり 小川双々子

「性器」をお使いになる俳人がここにもいらっしゃった。
画家でも鳴らした俳人で、中部地方の句会の重鎮だった人らしい。
「げんげ田(レンゲ畑)」で頃は春。その誰もいない赤紫の絨毯の中で先生は「鉄」のごとく硬く立たせているんですね。「けぶりたつ」は万葉集第一巻の「大和には…」に見えることばですね。
「煙」は「湯気」をも意味し、「性器のけぶりをり」とは「湯気を伴って鋼のごとく立ち上がった勃起」を愛でているのでしょう。
なんと雄々しい姿でしょうか。しかし、誰かに見られたら大変ですぞ。
だいたい、何で勃起させてんだろ?この人。(小川氏も男性です)

遠き日の男根なぶる葉月潮 宇多喜代子(女性)

女性だって、たくましい男根には俳味を覚えますのよ。
「遠き日」とは、まだ宇多さんが花も恥じらう乙女の頃なんでしょうかねぇ。
「葉月潮(はづきしお)」が問題なんです。もちろん季語で旧暦の八月十五日の大潮を言います。
それがね「初潮(はつしお)」とも書くんですよ。これって音読みで「しょちょう」でしょう?
だとすれば宇多嬢は、初潮を迎えたあの時に、男根を「なぶっていた」んでしょうか?
こりゃ事件ですぜ。

仰臥して男根寒し喜寿とかや 金子兜太

またまた兜太先生、喜寿の作品です。老いてますます盛ん?ではなく「寒し」ですわ。
もはや、みなぎることもなく、仰向けに寝ても、でれんと体に沿って横たわる歴戦の勇士。

秋の海に君ら泳ぐと男根揺する 金子兜太

昔はね、ふんどしなんか脱ぎ捨てて、フルチンで泳いだもんですよ。はっはっはっ!
と豪快に笑い飛ばす兜太先生が瞼に浮かびます。

初日粛然今も男根りうりうか 加藤楸邨

楸邨先生だって負けちゃいません。正月早々、おペニスが「りうりう(隆々)」ですもんね。
それを「粛然」と受け止めていらっしゃる。

曼殊沙華男根担ぎ来て祀る 金子兜太

これは知っている人もあるかと思いますが、「金精(こんせい)さま」とかいう「生殖器崇拝」の宗教儀式であります。
秋真っ盛りの頃、道端には曼殊沙華が血のように赤く燃え、そこを朱塗りのこれまた艶やかで巨大な男根を載せた神輿(みこし)が男たちに担がれてしずしずと村内を進んでいく様です。
五穀豊穣、子孫繁栄の願いを、いにしえの代からこうやって祀ってきたのですね。
女は男の隆々と勃起した男根に神の姿を見るのです。そうして自分の胎内に導いて胤(たね)を付けてもらうのです。
その時、お互いには燃えるような快感がおとずれる…神の仕業と言えなくもない。その結果、女は孕むのですから、なんと神々しいことでしょうか。

のんのんと馬が魔羅振る霧の中 加藤楸邨

「魔羅」を持つのは人間だけではありません。
牛馬や犬猫もそうです。なかでも馬のそれは目を見張るほどのブツです。
「のんのん」とは「伸びるさま」です。盛りがついたのでしょう。霧の中なのに、その気持ちが抑えられず体が反応するのは、人も馬も同じというところに俳味があるとみた楸邨先生でした。
「のんのんずいずい」と男根が伸びるさまを表現したのは開高健でしたね。

探せばもっとあるでしょうね。
俳人や歌人も人の子ですから、性を詠みたい、詠んでみんなをにっこりさせたいと思うんでしょう。
ウケねらいというのもあると思います。
今日はこんなところで、おひらきにします。

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