「おかえりモネ」と車いすマラソン
NHK朝ドラ『おかえりモネ』が苦戦しているらしい。
私も、一週間通しで見なくなった。再放送でも時間が合えば見るが、見のがしたとて惜しいとも思わない。「NHKプラス」で配信されていても『おちょやん』や『エール』のときは必ず見たものだが…
それほど、ドラマに魅力がないのである。
特に「鮫島さん」という女性の車いすマラソン選手(菅原小春)が出てきてから、どうも雰囲気が悪い。
それ以外でも、主人公に都合がよすぎる展開に不満は多々あったが、朝ドラの「15分展開」ということで大目に見ていた。
「鮫島さん」の激しい「関西弁」がまず「攻撃的」で「傲慢」に見えるわけだ。
『おちょやん』のトータス松本が演じた、千代の父の「えげつない」河内弁は、演出として賛否あったけれども「ガラが悪い生い立ち」が必要だったので受け入れられた。
しかし「鮫島さん」にその演出は必要だっただろうか?
「鮫島さん」の勝利に対するこだわりを与えるために「がめつさ=関西弁」は、ミスリードであると私は思うし、ただでさえ、偏見のあるパラアスリートにこれ以上マイナスイメージを与える必要があっただろうか?
関西弁が全国で、お笑い芸人の「ことば」として受け入れられたとしても、「がめつさ」のステレオタイプで扱われるのは、関西人としても面白くない。
西洋の漫画家が日本人を「つり目で、出っ歯のちんちくりん」に描くのを見て、嫌な気持ちになるだろう?あれが「鮫島さん」の姿にあるように思える。
パラアスリートは、えてして謙虚で寡黙である。
それもステレオタイプかもしれないが、そう描く方が大多数の視聴者の賛同を得られると私は思うのだが。
もちろん「鮫島さん」が実在の人物で、そういう伝記的な側面があるというのなら話は別である。
パラアスリートの代表例を「鮫島さん」に仮託しているのであれば、ステレオタイプの用い方を慎重にすべきだと私は思うのだ。
車いすの障碍者で、それを盾に傲慢な態度を取る女性がいて話題になったことがあったはずだ。
障碍者がみな、ああいう人間であるわけではなく、ごく一部であるのに、健常者は、車いすを見れば「傲慢」に見えてしまうのである。
車いすの人も遠慮しているのであるし、申し訳ない気持ちで電車やバスに乗っているのである。
それでも心無い人は、邪険に障碍者を扱いがちだ。
心のバリアフリーは、物理的なバリアフリーよりも構築しにくいのである。
スポーツは「戦い」であるから、闘志がないと頂上をめざせない。
これはパラアスリートも健常者も同じである。
その闘志の表現は「十人十色」であり、決まった形はない。
だから、脚本家や演出家はもっと好意的に受け入れられる「闘志」の表現を求めてほしかった。
菅原小雪さんは、ダンサーでアスリートに近しい表現者で大河ドラマ『いだてん』において「人見絹江」役を好演したことで記憶に新しい。
あの、スポーツ界において女性蔑視に立ち向かい、ひたすら結果を残した「人見絹江」の寡黙な姿には感動したものだ。
「おかえりモネ」の「鮫島さん」に、「人見絹江」のような静かな「一途(いちず)」の姿は無理なのだろうか?
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