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合気道と杖術(じょうじゅつ)

あたしは、伏見区のカルチャーセンターで合気道を習ったことがあった。
なにも護身術とか、闘うために習ったのではなく、夫の介護に活かそうと思ったからだ。
実際、そのクラスでは日常の家事や介護で体を傷めないように合気道を応用した技を教えてくれた。
サイドメニュー的なもので「杖術」の演武を見せていただいたときに、「これや!」と思った。

120cmぐらいの、樫の棒で、直径は3cm弱の握りやすいもので、突きや払い、打ちと次々に繰り出される技に、木刀の人がタジタジに追い詰められるのだった。
現代において、日本刀で斬りかかられることは皆無なので、杖術が最強の護身術になり得るわけだ。

とうとう、私は「杖(じょう)」を買ってしまった。
で、日夜、己の血糖値を下げるべく、はたまた、腹回りのお肉を削ぎ落すべく振り回している。

そもそも合気道は、相手の力を利用して、自身はあまり強くなくても、関節技で倒すのである。
大男の「泣き所」は随所にあって、それが親指だったり、ひじ関節だったりして、そこを攻めることで190cmもある男を、165cmの女のあたしがねじ伏せることができるのが合気道なのだった。

技が決まれば、おもしろいように男が痛がって倒れるのだ。ストレス解消にもってこいだ。

合気道は「受け」の武術であると教わった。
つまり「攻撃を仕掛ける」ことはしないし、そうすると最悪「負ける」らしい。
唯一の弱点が「自分から仕掛ける」ことができない武道なのである。
一番わかりやすいのは、腕を組んでしっかり立っている男を倒すことができないのである。
何でかというと、彼は力を私に向けていないから、相手の力を利用する合気道が使えないのである。
もし彼が胸ぐらをつかんできたり、殴りかかってきたのなら、合気道は有効にその効果を発揮してくれるだろう。
とはいえ、寝たきり老人の体位を変えるような場合には合気道は価値があるのだった。
脱力して横臥している病人をベッドに引き上げるなどもそうである。
車いすから立ち上がらせて、ポータブルトイレに座らせることなども合気道の極意で、腰を痛めず安全におこなえるのである。

合気道は、その名の通り、相手に合わせ、闘わずして降参させる、きわめて平和的な武道であるらしい。
ゆえに、日常生活に役立つ身体(からだ)の利用方法を教えてもくれるのだった。
人間の関節は曲がる方にしか曲がらず、それに抗えば「痛い」ので、人はそのために姿勢を崩してしまう。
とても物理学というか力学に忠実な武道で、自分の体重、相手の力、重力、遠心力などの「ベクトル」を体現できるので理系の私には納得がいくのである。特別な筋力トレーニングなどはまったく必要なく、ただ「型」を体にしみ込ませることでとっさに対応できるようになるそうだ。あくまでも「受け」つまり「対応力」を鍛える武道なのだった。
先制攻撃を考えない武道として私は好もしく思った。それを日本人が創出したのは「和の精神」があったからではなかろうか?
いずれにしても、合気道を護身術に使うか、介護に使うかは本人次第である。

また杖術は、杖のような棒が一本あれば、刀剣による攻撃にも勝てるという、日常的発想から極められた武術だ。
槍術(そうじゅつ)や剣道、棒術、長刀(なぎなた)などからもっと生活に即した武術を抽出して高めたものが杖術だとは言えまいか?
警官なら「警棒術」というものがあるし、自衛隊員なら「銃剣術」があるだろう。
一般人の護身術として、杖術はもっと広まっていいと思う。
たとえ、短い麺棒でも戦えるのだから。
私は、強盗用に杖(じょう)と麺棒の二刀流を備えている。
それと懐にモクバ印の「フラットチゼル(鏨:たがね)」を忍ばせている。
機械工がいろいろに使える工具だが、武器にもなる。モクバ印のそれは握りがゴムになっていて、金属むき出しの「たがね」よりしっかり握れる。もともとはハンマーとともにコンクリや接着の「剥離」に使うものだ。
杖で相手の懐深く入り込んで、のど元に「フラットチゼル」を突き立てれば、その冷たい切っ先に相手は「ちびる」はずだ。

あとは手錠でもあれば、暴漢を警察に突き出すまで安心なのだけれど。まあ、インシュロック(結束バンド)の特大があるからあれでいいか…

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