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サヴァランの言葉

グルメの先駆的人物、ブリア・サヴァランの言葉を引いてみよう。

「どんなものを食べているか言ってみたまえ、君がどんな人であるかを言いあててみせよう」(美味礼賛より)

ことほど左様に、「食」はその人となりを表わすということだ。
「食」を見れば「お里が知れる」わけだ。

このセンテンスは「食」に関するものと解釈をしてしまうと、たいして面白みがない。

「どんな女と寝たのか言ってみたまえ、君がどんな人であるか言いあててみせよう」
「どんな本を読んできたのか言ってみたまえ、君がどんな人であるか言いあててみせよう」
「どんな仕事をしてきたのか言ってみたまえ、君がどんな人であるか言いあててみせよう」
「どんなものを買ってきたのか言ってみたまえ、君がどんな人であるか言いあててみせよう」
などなど・・・

女の趣味は、その男の人となりを非常に明確に表わしていると、あたしは思う。
母親に似た人、姉に似た人、従姉に似た人、担任の先生に似た人・・・
そんな幻影を追いつつ、男は女遍歴を重ねる。
今、となりで寝ている、行きずりの女にさえ、その中に過去の憧れを見出すことができよう。
それは体臭であったり、声であったり、肌の温もりであるかもしれない。
「だれでもいいのだ」と言う御仁であっても、実は「だれでもいい」わけではない。

本はどうだろうか?
本好きは自分の本棚を他人に見られたくないそうだ。
それは裸の自分をさらけ出すに等しいからだという。
やはり、読書遍歴はその人の内面に大きく作用するものらしい。

仕事という基準は微妙かもしれない。
だれしも、今の仕事が自分に合っているとは思っていない。
辛抱せずに、職をあれこれ変えられる人はまだいいのかもしれない。
転職履歴をみて、その人となりを推定することは可能かもしれない。

買い物には人格が現れる。
買い方といったほうがいいだろうか。
ケチ、衝動買い、依存症、金遣いの粗さ、借金してでも買う・・・
まさに人格がなせる業みたいなもんだ。
そして、何を買っているか?
他人から見れば、二束三文のガラクタを高額で手に入れる者。
安物買いの銭失い・・・
買って後悔、買わずに後悔・・・
買わされ貧乏・・・断われない人たちや踊らされる人たち。

サヴァランも辛酸をなめた時期があったろう。
そういった人生の滋味を「食」という表現で、我々の前に示してくれたのではなかろうか。

「どんな言葉をググッているか言ってみたまえ、君がどんな人であるか言いあててみせよう」

ふふふ・・・

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