『個人的な体験』を読んで思ったこと
当事者には様々な思いや、耐性があるからね。
弱い人もいれば、強い人もいる。
強い人は弱い人を追い詰めてしまいがちだ。
今後の生活を考えたら、先が思いやられるのは当然で、障害を受け入れることがどんなにハードルの高いものかは当事者でないとわかりっこない。
内心でどんな悲観的な考えを抱いてもそれは思考実験のためには必要なことです。
それを当事者や、周囲も含めて出し合える場が欲しい。
命の選択だって、畜産では実施している(産業であるから仕方がない)。
ヒトがヒューマニズムによってのみ道徳や価値観を創造するのであれば、そこには特別な「人道」が意味を持つ。
すると「中絶はだめだ」と言いつつ、一方で「障害児は胎児の段階で排除」と百家争鳴に陥る。
私はすべてにおいて正解はないと思う。
ゆえに愛し合う男女が、その結果、障害のある子を授かったとして、その子をどうしようと父母にゆだねるほかないのだと思う。
その結果に応じて社会は彼らをサポートすべきなのだと。
生み育てるのなら、最大限、私たち社会の構成員は彼らを助けるし、もし「生かさない」選択をしたとしても、責めないことだ。