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作曲者の諧謔に弄ばれた演奏家~プーランク シンフォニエッタ

今年の桐朋祭でも様々な曲との出会いがありました。

その記録を、しばらくはしていこうかなと思います。

今回は、M交響楽団のメインとして演奏した、プーランクのシンフォニエッタについてです。


僕が近代フランスものを苦手な理由

 近代フランス音楽と聞いて多くの方が思い浮かべるイメージといえば、あの独特の「軽さ」だと思います。プーランクのようなフランス6人組なんかはその特徴が顕著に現れていますよね。僕、実は多くの近代フランスものが持っているその「軽さ」にまあまあ苦手意識を持っていまして…元々僕が演奏する上で軽く弾く事自体に苦手意識があるというのもあるのですが、何よりも近代フランス音楽は弦楽器に優しくない譜面ばかりなのです!普段は単純な音が多いのに、突然登場するいびつな音型の細かいパッセージ、突然の高音、等々…(全弦楽器奏者からの「わかるわかるー」って声が聞こえてきます(?))
元々弦楽四重奏曲にする予定だったと言われているこのシンフォニエッタも、その割には弾きづらい場所が多数ありました。急にポジション移動だらけの細かいパッセージが出てきたり、盛り上がるところに限って低弦は単音の伸ばし音だったり等あり、この曲の持つ「軽さ」をどう引き立たせるか、どう盛り上げていったらいいのか等、とても苦労しました。結局この謎を解明するには期間が短すぎたようです。今後の研究材料として残しておくことにします…

近代フランス音楽の「軽さ」とは

 近代フランスには独特の「軽さ」があるという話をしましたが、それは前述のようないびつな音型の上の軽さ、(特に盛り上がる所の)低弦の非充実性だけではありませんでした。もうひとつ、近代フランス音楽って軽いなと思った要素は、形式です。
例えばベートーヴェンに影響を受けた多くの作曲家達の作品は、ブロックとブロックの間のグラデーションの部分も充実しており、それが曲の始まりから終わりまで一瞬も隙を逃させない要因の一つになっています。しかし、プーランクをはじめとした近代フランス音楽には、そもそもグラデーションの部分が存在しません。或いはあってもそこには隙間というか割と大きな空間が存在しています。第1テーマを言い終えればすぐに、又は一呼吸置いて分かり易く次の主題が提示されているといった感じに。プーランクのシンフォニエッタを例にすると、一番わかりやすいのは、第1楽章の主部(?)から中間部へ入る部分でしょうか。もはや一旦休息かのようなコンマからの中間部の提示があまりにもわかりやすくできています。或いは、第4楽章の再現部に入る前などは、ブロックとブロックの間の空間を生み出しているいい例とも言えます。そういった部分も、「軽さ」を感じる一つの要因であると思われます。
 さらに、近代フランスの多くの作曲家は、ソナタ形式のような複雑な形式を好んで使った例はあまりありません。このシンフォニエッタも、第1楽章などはもっと自由なオリジナルの作りをしていますし、第3楽章はあまりにもわかりやすい三部形式となっています。このように単純な形式や、自由な曲のつくりから見ても、近代フランスの「軽さ」がよくわかります。

膨大化する音楽への皮肉

 とまあ楽曲解説みたいな話をつらつらと述べてしまいましたが、M交響楽団の運営陣によると、今回の企画は、例年規模が膨大になりがちな桐朋祭を皮肉って敢えて小編成の軽い音楽をプログラムに置いたとの事。勝手な思い込みなのですが、これは、どんどん規模が膨大で複雑になっていくクラシック音楽を皮肉って敢えて規模を縮小させて単純化させた近代フランス音楽の風潮と共通点があるなと感じました。(ラヴェルやオネゲルのような例外もいますが)確かに、世の中がでかくて複雑な音楽ばかりで溢れかえってしまっては疲れてしまいますし、桐朋祭のオケ企画もたまには休みを欲されるかもしれません。そういう意味では、このコンセプトにこの選曲はかなりリンクしていたのではないかと思いました。僕ら演奏する側はだいぶ譜面に遊ばれてしまいましたが、長らくやれていなかった近代フランスのオケ曲の研究ができて、また新たに曲との出会いができ、とても良い経験になりました。あとは残された課題を早く克服できるように、また研究していきます。

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