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海の上のピエロ~ドビュッシーチェロソナタ

こんにちはおはようございますこんばんは。

笠木颯太です。

今回は、7/23の演奏会のオープニングを飾るドビュッシーのチェロソナタにまつわる話です。


消した思い出は蘇らなかった

 この間、久しぶりに海に行きました。忙しくてなかなかできていなかった気分転換をしに、というのもありますが、この時の一番の目的は、次週に控えた演奏会のイメトレでした。この演奏会のプログラムに、偶然にも海というイメージを勝手に持っている曲が多かったのです。特に、今回お話するドビュッシーのチェロソナタは、作曲された場所が海辺だったということもあり、実際に行ってイメージを確実なものにしようと言う事で、実技試験直後ではありましたが遠くまで出向きました。
 海というと、自分の中の記憶から消した黒歴史(とはいってもまあまあ最近ですが笑)の中にまぁ度々登場してしまうため、またその時の記憶が蘇って変なふうにならないかと正直不安でした。消したい記憶は消しゴムでしか消せないので、消せたと思ってもよく見ると残ってたりするものですから。しかし、いざたどり着くと、ただ波の音を感じ、ただ海風を感じ、不意に水飛沫を浴び、ひたすら目の前の海と一体化することに夢中になっていました。気づいたら消した記憶がどうこうなんかどうでもよくなっていて、見事思い出を上乗せする事に成功していました。消した思い出がフラッシュバックしてこなかったということは、僕にとってあまりにも大きな一歩でした。

僕は踊れないピエロ

 さてこのドビュッシーのチェロソナタ、海辺で作曲されたというだけではなく、「月と仲違いしたピエロ」という副題をつけようとしてやっぱりやめた、という経歴をもつ作品だということはご存知だったでしょうか?僕はある日のレッスンをきっかけにそれを知りました。その日、ドビュッシーのチェロソナタの2楽章を見ていただいていた時に、
「この2楽章はピエロがたどたどしく踊るっていう楽章なんだよね。冒頭のところはもっと怯えて入場してみてごらん?そしてここのピッツィカートのアルペジオで降りるところはピエロの涙が落ちるようにね。」
などという話を先生がされていました。その瞬間、この曲第1楽章があんなに決然とした感じなのに何で2楽章はこんな面白おかしくなっちゃってるんだろうという謎が一気に解けました。その快感に浸ったまま、帰りに曲調べをしていると、この作品にはこのような副題がつくはずだったということが判明。だからあの時レッスンで先生がピエロの話をされていたのかと、納得しました。
 そもそもピエロは、表向きはおバカな振りをして、その動きでみんなを笑わせたりしているけれど、心の底では傷つき悲しんでいる、という設定があります。2楽章だけでなく他の楽章でも、面白おかしく演じる部分あり、その合間に心の奥底の悲しみが垣間見える部分ありという感じで、削除されたとはいえ副題にぴったりな作品です。
 これを勝手に自分と重ねると、僕もココ最近は特に、いつもと変わらず音楽活動などを続けていながらもたくさん傷ついた経験をしました。詳しい事は初回の投稿にちょっとだけ書いてあります。僕は踊る事はできません。ですが、このような経験たちを海に乗せて、臨場感たっぷりに演奏できたら、なんて思ってみたりしています。

ドビュッシーの音楽は天真爛漫?

 ところで、僕の作曲の先生が授業である日こんな事をおっしゃっていました。
「ドビュッシーとラヴェルを比べると、ドビュッシーの音楽には闇がなく、天真爛漫なのが多いのに対して、ラヴェルの音楽には何か闇みたいな怖いものを感じる」
僕はこの言葉を聞いて、へえぇ!と思いました。確かに言われてみれば、ドビュッシーの音楽は、例えば静かな曲でもどこかに滑稽さがあったり、ただ笑顔で物思いにふけってるだけだったりしているものが多いです。
 じゃあ今回やるチェロソナタはどうだろうかと、改めて振り返ってみました。するとどうやらその天真爛漫さは十分すぎるぐらい当てはまっているということがわかりました。第1楽章の意志の強さも、第2楽章の滑稽さも、第3楽章のある種情緒不安定さも、ドビュッシーならではの天真爛漫さがあってこそ成り立つものに感じます。海の表現も、そこに自分の心の奥底の感情があるというよりは、あくまでも海の風景そのままを純粋に描いているというふうに聴こえます。また、ピエロの表現も、ピエロ本人になって心の奥底まで表すというよりも、あたかもそんなピエロを客観視して、それすら面白おかしく見ているような気すらします。(先生からそんな話を聞いたせいも多少あるかもしれませんが)ドビュッシーの晩年の作品ということもあり、彼の音楽のその特性がより洗練された作品といえるのかもしれません。
 この曲を演奏する上でのヒントを教えてくれた先生方お2人とあの時の海に改めて感謝です。

 こんな話をしていると余計に気になってしまうことが1つあります。

 もしラヴェルがチェロソナタを書いていたら一体どんな闇を見せてくれていたんだろう?


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