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#48 先生とちょっとバトル Part2

 前回の続きです。レッスンで、モーツァルト/K.333 3楽章を先生に見てもらったとき。カデンツァのところでちょっとバトルになりました。

カデンツァの部分だから自由に弾いていいのかもしれないけど。。。
でも、やっぱりアゴーギクが極端過ぎます。

あれ? 以前に同じような弾き方をしたとき、先生は「面白い!」と言ってくれていたはずだけど。。。発表会で弾くとなると、考えが変わったのかな?

 確かに、カデンツァの最初のところに「in tempo」とも書いてあるので、「では、カデンツァは全部インテンポで弾きますか?」と、テンションダダ下がりで先生に聞いてみると、

いえ、私でも最初のところはテンポ落として弾きます。
でもそれ以降で、遅くなって、速くなって、また遅くなって、また速くなってと、ついていけないというか、正直、気持ち悪いです。

確かに、気持ち悪いというか、よくない演奏として、多くの人がテンポが変に揺れる演奏とか、不自然に間があったり、拍子感のない演奏を例に挙げますね。

でも、この曲の終盤のカデンツァに対する私のイメージは、死にそうなのを無理して立ち上がって力を振り絞る、「灯滅せんとして光を増す」といった感じ。

 例えば、満身創痍で死にそうな状態になっていながらも歯を食いしばって立ち上がり、ヨタヨタしながら紙一重で相手の攻撃をかわしつつ、クリティカルヒットを連発する武士のイメージとか。とんでもないですね(笑)

 だから、そのヨタヨタ感、ぎこちなさアゴーギクで表現したいのです。で、そんなようなイメージであることを先生に告げると、先生は絶句してましたが(当たり前か)、

聴いている人は決して、あえて速く弾いたり、遅く弾いたりしているんだな、とは思いません。
そういう風にしか弾けないんだな、下手なんだな、と思われてしまいますよ。

と返されました。

既にモーツァルトを人前で弾く時点で・・・

「下手だと思われる」

先生の言っていることにちょっと引っかかりました。と同時に、K.333を習っている私に、先生が以前、言っていたことを思い出しました。

モーツァルトは子供の方が100倍上手に弾きます。

逆に言えば、大人が弾くモーツァルトは100倍下手に聴こえる、と。

何も先生だけでなく、多くの人が同じようなことを言ってます。だから大人はモーツァルトを人前で、ましてや発表会では弾きたがらない。発表会でモーツァルトを選ぶのは危険だ、と。

下手に聴こえるから。

相当完璧に弾いても、ショパンとか、もっと演奏効果の高い曲を普通レベルで弾く人に比べて見劣りする、とか。

でも、私はあのホールで典型的なモーツァルトらしい曲を弾くとどういう響きがするのか試したいんですよね。それに、他人にどう思われるかで、自分の行動を委縮させる考え方が好きではありません(厚顔無恥なだけかもですが。。。)

だから、モーツァルトを人前で弾く私にとっては、下手だと思われるというのはある意味、今更の話。なので、

いえ、もともと下手ですし、今更というか、別に聴いている人に下手だと思われてもいいですよ。

と応えると、

うーん。。。カデンツァだし。。。これでいい??
いえ、やっぱり、よくないです!!

迷いつつ、やはりダメだという先生。納得していないようです。

ジャ○アンシチューであっても自由に弾きたい

先生のいうことはよくわかるんですよ。
例えば、料理に例えると、楽しく料理しているんだから別にいいじゃんと、ジャ○アンシチューを作る料理教室の生徒(=私)。

勝手に隠し味として、「イカのしおから」や「セミの抜け殻」を入れてしまったりして。でも、先生の立場からとしては、

「少しはそれを食べる(聴く)人のことも考えなさい!!!」

といったところでしょうか。
※ちなみにセミの抜け殻は、「蝉退」という漢方の生薬の1つなので、一応、食べられるのかな?

でも、K.333を初めて譜読みしたとき、

Cadenza(カデンツァ)って何だ?

と疑問に思って、いろいろ調べはじめて以降、この部分でいろいろな弾き方を試すのがすごく楽しかったんですよね。

参考のためにYoutubeを探してみると、モーツァルトってベートーヴェンと違って、本当いろいろな弾き方をしている人がいて。

特に古い録音に出てくる人とかは、モーツァルト特有の細かいフレーズ処理やデュナーミクを無視してたり、アゴーギクや間を自由に入れていたり、装飾音入れまくったり、カデンツァ自体を作曲していたり、こういうのもアリなのか!と驚くと同時に、それを聴くのが楽しいというか、好みの演奏というか、そういう人に憧れてしまいました。

もちろん、巨匠ならではの深い思惑でそういうことをしても素晴らしい演奏が成り立つのであって、お前が同じようなことをするな!と言われてしまうでしょうけど。

でも、カデンツァを思うままに弾けなければ、この曲を弾く意味がないような気がして。下手に聴こえるからといって、そういう工夫というか、楽しみをやめたくはないです。

私はプロじゃないので、ただの下手な素人なので、せめてカデンツァだけは、聴衆よりも自分がどう弾きたいかを重視したい。たとえ、気持ち悪い演奏だと、ダメな演奏だと思われても。ジャ○アンシチューを作っている行為にしか見えなくても。

なので、

「下手に思われるからと言って、聴衆の奴隷のような弾き方したくないです。それに、カデンツァを今のように弾くと決めたわけではありません。本番までいろいろな弾き方を試そうと思ってます」

と先生に告げました。先生にも私が聴く人に迎合しないという意思が伝わったようです。

・・・・・・。
わかりました。もう何も言いませんので、好きに弾いてください。

というわけで、先生にK.333を教えてもらえるのは、ここまでのようです。

あとは、自分で本番まで頑張ろうと思います(それにいろいろ試すなかで、先生や聴衆の許容範囲のアゴーギクに収まるかもしれないし。。。)

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