優しさと思い遣り
いずれまとめようと思っている、今読んでいる書籍の一部にこのような内容が書かれていた。
心の余裕を作り出すためには、人に優しくすること
私は、今まで自分が相手に優しくできるのは、相手を幸せにできるのは、心に余裕があるからだ、と思ってきた。
そうではなく、心に余裕を"作るため"に優しくするのだ。正直、反対のことを書いているだけなのに、今まで一度も気付いてなかったことを自覚した瞬間だった。
ただ、優しくするのは誰かにすることだけではなく、自分自身に対しても優しくすることができると思う。
例えば、仕事やプライベートで何かに失敗した時、自分に許せなくなる。誰しも経験したことのある感情だと思う。その感情が時には不快感、時には怒りさえ生んで、その結果思わぬところで誰かへ当たってしまうことがある。まさに負のスパイラルのような状況だ。
皆さんは、最近自分自身、または相手に優しくしたことはあるだろうか?
朝の通勤ラッシュの中、仕事中、場合によっては残業、仕事後の会社の接待、半ば義務で行く会社の飲み会など。
24時間なんて足らないくらい目まぐるしく回る中、そんな余裕はない!とでも思ってしまうかもしれない。(実際私もそうだ。)
ここで、優しさという言葉の意味について調べる。
形容詞「優しい」が、接尾語「さ」により体言化した形。
① 穏やかで好ましい。おとなしくて好感がもてる。
② 思いやりがあって親切だ。心が温かい。
③ 上品で美しい。優美だ。
等
ここでもう一つ、思い遣りについても調べた。
① その人の身になって考えること。察して気遣うこと。同情。
② 遠くから思うこと。想像。推量。
③ 思いめぐらすこと。思慮。考え。
どうして思い遣りも併せて調べたかというと、人に対して優しさを表す時、よく人の話を聞いてあげたり、行動する時に相手を思い遣って行動するという言葉を聞くから、「思い遣りは優しさにつながっている言葉なのか?」と思ったからだ。
だが、実際調べてみたらそうでもない気がする。
ただし、思い遣りは相手のことにかんしんを向けなければ成立しない言葉であり、時にはその思い遣りが相手への優しさにかわることもある。
②からするに、時には優しさとは違う感情もあるようだが...
そして優しさ、優しいこととは、思い遣りのある優しさだけでなく、好感が持てること、また、上品であり、優美であることにもつながる。
仮に私の読む著者が言う優しさがこの意味にもつながっているのであれば、他者への思い遣りと好感の持てる行動も当然だが、上品であり、優美であることは、結果的に自分自身への振る舞いや意識に変わる。
つまり、自分自身への優しさに対するいみにつながるのでは、と思う。
私自身もこれを書くことで自身に問いかけている。
日々の周りに対する振る舞いは"優しさ"がこもっているのか?
自分の立ち居振る舞いには"優しさ"が含まれているのか?
もしかしたら、他者への優しさは、自分自身への優しさから始まるのではないか。
もしかしたら、自分自身への優しさは、深いところにある、本当の自分自身に対して思い遣り、親切に、思いを巡らせることから始まるのではないだろうか。
11-12-2019
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