完治と全快
今回は病気について。
と言っても、初回投稿と同じように中心となるのはうつ病に関してである。
最近、似たような言葉の本当の違いについて調べながら、備忘録もかねてここにまとめさせてもらっているのだが、完治と全快についてそれぞれ調べたら...
病気やけがなどが完全に治ること。
病気や傷が完全に治ること。
強いて言うなら怪我なのか傷なのかの違いだった。
それはさておき、皆さんは周囲にうつ病になった人はいるだろうか、私のように。そして、治ったと言えている人はいるだろうか。
私は今年の8月中旬に抑鬱状態の診断書をもらって、半強制的に今の業務に対して休職の判断が下った。それから約1ヶ月後に、半ば無理矢理復職した。
復職の理由としては、家にいても一人でいる時間が多く、仕事やいろんな不安が自分の心の中で蝕まれるのが容易に想像できたのと、日中誰ともコミュニケーションを取れないことが何よりの不安だった。まるで、社会から隔絶されたかのように。
そして、今、人に(主に職場で)、「元気?」と聞かれる。診断が下るまでは反射的に「はい!」とか「もちろんですよ〜。あ、今度飲みに行きません?」と返すことが主だった。
しかし今では、「...まぁ。笑」と言ったテンションで返すことが多い。本音を言うと、休職前の自分と今の自分は違う感覚で、さらに言えば、過去に自分が感覚的に思い出せないのだ。復職してそろそろ2ヶ月たつが、全くもって全快した気がしない。
確かに、復職してから少しは"マシ"になった。だが、以前の頃の自分にはもう戻れないんじゃないかと思う。なんと言うか、剥がすべきでない仮面を剥がされた感覚だ。
これを書いてて思ったのが最近公開されたJOKERに似た感覚なのかもしれない。ただ、"似た"感覚であって、決して同じだとは思っていない。多少長く時間がかかっているものの、決して戻れないとは思っていない。
だが、戻る方法がわからない。そして、戻る方法は誰にでも使えるワンパターンではないと思う。だから他と同じような状況の人に共感を得られないとも思ってるし、共感を感じれるとも思っていない。ただ、ある程度の感情を理解して汲み取ることができると思う。しかし、それには互いの包み隠さない正直な対話が必要だ。決して簡単なことではない。勇気がいる。ただでさえ心のエネルギーがすり減っている中で。
加えて、日本人はアウトプットが苦手だと思う。(似たような内容を「日本の教育制度」で書いたのでよかったら読んでいただきたい。)
そんな社会の中でうつ患者が復帰できる環境が整っているわけではない。先進国と言われながらも先進国と思えるような福祉環境は整ってないとおもう。
医療は発展しながらも、分野によって発展度合いは違うと感じる。
そもそも、医者も人間なのに医者の労働環境も考えるべきだ。(精神科医本人が病むような環境など)
うつ病を代表とさせていただいたが、そのほかの病気も少なくとも傷病を追った時点で何かしらの“荷物”は背負うこととなる。
いきなりうつ病の全てをわかってくれ、とは言わないが、周りにうつ病にかかった人がいるなら、相手のペースに任せてゆっくり、少しずつその人に合わせて話を聞いてほしい。
11-13-2019
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