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「河野八香 個展 -軌跡-」鑑賞

ほぼ毎週伺っている。
本日も「gallery &cafe 空のいろ」にお邪魔した。
本日最終日の「河野八香 個展 -軌跡-」にギリギリ見にいく事ができた。
名前だけでは分からなかったのだが、河野さんとは公募展で共に参加した事があり、面識があった。覚えていなくてお恥ずかしい限りである。確かにご本人にご挨拶させていただいたら面識がある。
なかなか挨拶してもお名前やお顔が覚えられない。これは「美術鑑賞家」と名乗っている身分としてはいけないだろうと思う。なんとかせねば。
と、自らに課題を掲げるのはこれまでにして河野さんの個展の内容である。
河野さんは書を自由自在にアートに昇華された松田朴伝氏に30年学び、初の個展とのことである。
朴伝氏は私も作品を拝見した事があるし、同じ公募展にご一緒になった事もあるが、シンプルな画面に緩急が抜群に収まっていて、無駄がなく、空間を活かし、全くもってすごいの一言の作品である。ジャンルで言うと書になるのであるが、もはやジャンルなど色々と飛躍している。
こういった作品を見ると「ジャンル分け」というのは果たして意味があるのかと疑問に思ってしまう。今回の河野さんの個展もそうだ。ギャラリーに入って真正面に飾られてあった作品がまさしくそれに当てはまる。
紙を折っている。板を張っている。紐をぶら下げてある。明らかに書ではない。壁に飾られているが絵画の部類に入るかと言われればそうではないだろう。ならば立体作品かと言われると疑問である。
しかし直接見るからこその迫力、力強さ、儚さがある。青で構成された中に一本ぶら下がっている赤い紐が粋だ。色っぽいとも言える。
そしてその作品に対して左の壁には様々な作家が読んだ俳句が書かれた書が展示されている。流れるような筆の運びが流暢で華やかさがある。私はこのような書に関しては門外漢なので見ながら感覚だけでも勉強させていただいた。
そして右側には墨彩画が展示されている。
和紙を使った作品は墨の種類や紙の種類で様々な表現を可能にする。洋画ではできないであろう表現をしてしまったりするのが墨彩画や書の面白いところであるかもしれない。
作家でさえ予測できないぼかし、にじみ、かすれなどを巧みに画面で活かす。納得いかなければまた書く。
河野さんより説明を聞きながら思った。ここあたりが一般的な絵画とは違うところかもしれない。
絵画は納得いかないからといってまたやり直すなどの話は今の所聞かない。しかし水彩画などもしや例外はあるかもしれないけれど、油彩などは納得いかなければ上から絵の具を描き足すのだ。
しかし書などは納得いくまで何枚も書く。これは言わば精神力の戦いではなかろうか。
色々な展示を見ているがやはり私にはとても耐えられない事を皆さん平気でやられている。そして最も凄いところはそんなタフな作業を作品に出さずに適度な重さで鑑賞者に見せている事であると思う。
今回の河野さんの個展では最初に見たミクスドメディアのような作品から書、墨彩画など河野さんの様々な顔を見せていただいた。
やっぱり思う。アートは最高。

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