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追悼 野見山暁治展 鑑賞

昨日、みぞえ画廊にて「追悼 野見山暁治展」を鑑賞。
さまざまな時代の、さまざまな大きさの作品が並ぶ。その一つ一つから溢れ出るエネルギーは圧倒的で、どの作品もエネルギーに見合ってないように思われた。
おそらく、どれだけ大きな作品を描かれたところでエネルギーはそのサイズに見合わず、溢れ出るのだろう。作者が不在となった今、未だに発散し続けるエネルギー。
これが美術なのだ。これが作品を残すということなのだ。これが芸術家の一生というものなのだ。
そういったことを作品たちから嫌というほど叩き込まれた気分だった(実際に嫌になったわけではない)
私が生まれる以前の作品、そして私の両親が生まれる以前から活動していたという歴史。気が遠くなる。
私はこの世界に存在するありとあらゆるアーティストを尊敬する。野見山氏だってそうでその最たる存在である。
そして私の考えとして尊敬は同時に超えるという意思も同時に持っていなければと思うわけである。チャレンジし続けた人に対して、私も相手を超えるようと思うことでチャレンジしなければ失礼だと思うわけである。
なので氏がこの世界に生きた102年。それを目指し、ずっと長く作品を描いていこう。それを言葉でなくエネルギーに教え込まれた。
そんな展示だった。

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