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「斉木駿介・SIMON・村上淳志・山中智郎 四人展」鑑賞

さあ、いよいよ多忙を極める時期となった。
多忙と言っても誰かに頼まれて多忙とかそう言うことではない。自分で勝手に多忙を極めるのだ。文句あるか。
本日よりいよいよ本格的に「FUKUOKA ART WEEK」の参加ギャラリー、画廊その他の展示が増える。見に行きたいのは目白押しで色々計画立てて新たなギャラリーを知り、新たな作家の魅力を知り、勝手に発信する所存である。
本日早速3件廻った。その内最後の一件。博多阪急は少し覗いた程度である。なので2.1件と言うのが正確であろう。
しかしその0.1の情報量だけでも膨大だった。既に2件展示を見ていた事もあり、私には第一話でラスボスと闘うようなものだった。早々に退散した。
博多阪急はまた見に行くつもりだがこのように文章に書くことはないと思う。書こうとすれば一本の小説が出来そうだ。しかし書ければ書こう。
本日は阪急を除いた2件のうち一件を書く。どちらにしようかと思ったが、2件目にしよう。理由に他意はない。
そこは初めて行くギャラリーであった。名を「alu cofee gallery(或珈琲)」という。いつも行くアルタスギャラリーが主催、企画をしているグループ展「斉木駿介・SIMON・村上淳志・山中智郎 四人展」である。
斉木さん、SIMONさん、村上さんに関しては過去に作品を拝見している。山中さんはお初であった。
これから感想を書くにおいて、先ずは一言お詫び申し上げる。グループ展の感想はなんとも難しい。
全体の統一感。それは色々な要素を含む。似た作風を集めた展示もあれば、あえてバラバラな個性をぶつけあって生まれる化学反応のような展示の仕方もある。前者は安定であり、後者は刺激であろうか。
今回の展示は後者であると思う。それぞれがバラバラの個性を持ち、その個性がぶつかり、爆発を起こす。グループ展とは飾ることだけではない。お互いがお互いを活かし合い、作品の良さを何倍も引き出すことだと思う。
そしてその急先鋒は私はSIMONさんの作品だと思った。


SIMONさんはイラストレーターと認識していた。実際以前拝見した作品はエイリアンの触覚の生えた可愛らしい女の子の作品であった。
そして今回もそうである。
しかし何故だろう。他の作家の美術という作品と同じ空間に居て全く浮いていない。はっきり言ってそれが衝撃だった。
同じ大きさの正方形のキャンバスに様々なバリエーションのエイリアンを描いている。それは80年代のポップさも感じたりじっくり観察するとたくさん情報を得る事ができる。
何よりも良かったのはアナログな筆の跡や塗りムラだった。そこにイラストにはない生々しさを感じて私の中のSIMONさんの印象を大きく変えたのである。
同じモチーフを描いても描き方でイラストにも絵画にもできるのだ。私はSIMONさんの作品にかつてのアメリカのポップアート、ウォーホルやリキテンスタインと同じ風を感じた。
そしてその隣に山中さんの作品が並ぶ。ストレートな絵画かと思っていたら女性の髪の部分に丁寧に筆で線で流れを作っている。日本庭園の枯山水の箒模様と言えば感じが伝わるだろうか。



それがとても艶やかで艶かしく、そして色自体も綺麗である。
女性が描かれているのだがその目はどこか醒めているようだ。しかしポツネンとしているようなキョトンとしているような表情で可愛らしさもある。
そして隣に村上さんの作品が並ぶ。村上さんは見るたびに作風が変わる。それは決して悪口ではない。表現に貪欲で、私のようにマンネリと美術とねんごろにならずに美術と戦い、時には自らと闘っている証だと思う。


前回見た作風がどのようなものか、それは文字で説明はできないが、今回見た作品で感じたことは「より素直になったのでは」ということであった。
人の様々なポーズが合体したような作品である。一人の人間から何本も手が伸びているように見える。私はそれをなんらかからの脱皮かと受け取ったが、説明を受けると「人間の内面」を表現しようとしたとの事だった。
村上さんとお会いしたのは別のギャラリーであったグループ展である。その時、私が入室した際には他の参加作家の方とお話をされていた。今思えばその内容は美術のことであったと思う。
そしてSNSでもつぶやきを拝見したりしてその内容も美術についての事が多い。
めちゃくちゃ真面目なのだ。もはや尊敬である。今後もまた作風が変化するかもしれない。しかし恐れずにいて欲しいものである。
ちなみに今回の作品で感じたのはご本人は表現とは別に服のシワやたるみなどを描くのを楽しんであるように思えた。あくまで私の感想であるが。
最後に斉木さんである。初めて拝見したのはアルタスギャラリーの個展。その時の衝撃は忘れない。
現在という時代を切り取ったような作風。それは今回も変わっていなかった。スマホの画面のような作品。某有名動画配信の再生ボタンのようなものも見える。
しかし特徴的なのはそのマークや画面が潰れていたりそのままを描いていないのだ。
それが何を意味しているのか。意図するものが完全に伝わらない。その伝わらない事に心地よさがある。不思議な話なのだが。
わからないからと素通りできない引力というか魅力が作品にある。そこに惹かれるのだ。
あまりにも現在すぎる作品なだけに30年後にまた見たいと思える作品である。


以上。長くなったが感想を書かせて頂いた。
いつも思うのは批評になってやしないかと言う事である。私はあくまで「鑑賞家」なので自分の思う事を、なるべく読んだ方が「見に行こうかな」と魅力を引き出すように描いているつもりである。
なお、明日「9/17」は台風の為臨時休業との事である。皆様も台風に気をつけてください。

「斉木駿介・SIMON・村上淳志・山中智郎 四人展」
2021・9・16〜9・26
12:00〜19:00
月曜休郎
観覧無料

alu cofee gallery(或珈琲)
福岡市博多区大博町3-28 2F

9/17は台風の為臨時休業。

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