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個性を否定された一言

子供の頃から

ちょっとだけ変わった子
だったかもしれない

空想が好きで
時には
空飛ぶヒーロー🦸だったり
海外✈️へ羽ばたく競技者だったり

物語を作り出す作家にも憧れた

私の未来は最強だと思っていた

大好きな国語の授業で
読書感想文を披露する場面があった

本好きな私は
読書感想文が好きだった
人の心の裏側を覗いては
あれこれ想像を巡らす世界は
果てしなくて独特な魅力があった

その日も
教師は私を指名した
少し前にコンクールで受賞した私は
ちょっとだけ鼻を高くしていた

教師も感想文の時はいつも
私の作品を皆の前で発表させた

でもその時は
少し違った


『童謡』という作品名だったかどうか
何故か肝心なところが記憶から
すっぽり抜け落ちていて
覚えているのは内容ではなく
ただ一言投げ掛けられた
教師の言葉だけ

童謡は童謡でしょう~(笑)
他に意味は無いよ

私はその瞬間
立っていた教室の床が
大きく歪んだように感じて
バランスを崩し慌てて着席した

確かに他の生徒は皆
その物語をよくある童謡として
素直に受け取り素直な感想を伸べていた


私はその『童謡』の中に
『動揺』という感情を
皮肉にも読み取ってしまったのだ
作者は童謡という当たり障りの無い
作品の中に一人の少年の動揺を
そっと潜り込ませたのではないかと

勝手に想像を膨らませてしまったのだ

でも
教師はその私の感性をパサリと切り捨てた

今なら多様性が救ってくれたかもしれない

昭和の時代に
そんなものは無かった

学校教育は

ベルトコンベアーを流れてくる
全く同じ物を作り出す人間を

逆らわず
疑問を持たず
ただがむしゃらに労働をする

そんな人間を作り出す場所だった


私はそれこそ
本当の意味で動揺した

そして学んでしまった

集団行動の中では
この感性を閉じ込めようと

当たり障りのない発言をしていれば
けして傷つくことは無いと…


今は個性を重視する教育に
変わっているだろうか

私は余りにも歳を取りすぎて
世の中に迎合することが多くなった
いちいち反論するのも
面倒になってきている自分がいる

でも
心だけは
誰にも支配されていない!

それだけが

私のプライドである












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