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ゆく年くる年は、「お迎え」のクルマで。

「じさを荘」 ときまた日誌


実家を家族葬ハウスにして知り合いの葬儀屋さんに借りてもらっています。

葬儀屋さんには、お正月もゆく年くる年もない。クリスマスもどうだか。
と聞いて、ああ、そうなんや。
頭がさがる。
よく飲食店に入るとお正月やもんなあということがあるが、とくべつにお正月に働いたからといって、料金がアッブするわけでもない。そういう仕事。

実家を葬儀ホールとして利用してもらっている川原さんのところは、社員数人の零細企業。社長になってからは、大晦日の除夜の鐘は「お迎えの車」で聴いていたりする。なぜか、大晦日はふだん以上に仕事が入るのだという。

「毎年、お迎えに行く道で、これから初詣に行く人を見るんですよねえ」

言われてコタツに足を入れながら、運転席から見える街の景色を想像する。

「会社でも正月のしめ飾りはします。だけども家では、オセチはしたことないです。子どもも、オセチは知らんのちゃうかな。
その代わり、落ち着いて一緒に食事ができるときに焼き肉とか、すき焼きとか、ちょっとゴーセイな食事をするんです。あ、もちろん家で、です」

ひとが亡くなるのは日々のこと。ただ元旦だけは火葬場も休業する。そうした休業期間、お迎えしたご遺体は会社の安置施設でお預りしている。

「お迎え」と川原さんはクチにする。いい響きのコトバだなあ。やわらかい。
なくなられたひとを自宅もしくは葬儀が行われる場所まで、寝台車で搬送することをいうのだけど。そのお迎えが重なることもある。1日に何度も。とくに年末は重なるらしい。
「毎年、暮れから正月には、ご遺体を何体かお預かりしています」

365日、電話が鳴れば、寝台車でお迎えに行く。それもなぜか日をまたぐ夜間のことが多い。一仕事終えてシャワーを浴び、パジャマに着替えたところにかかってくることがよくある。
「正直、つらいです」
だけど、ケータイを耳にあてれば、シャキッと声をはる。仕事だから。
でないと務まらない。

「子どもには申し訳ないなあとは思ってるんです。家族で映画を観に行くでしょう。なんでか、そういうときに限って、ブブッと振動するんですよ。そう、ケータイが。
いったん外に出ます。
たいてい、すぐにお迎えに行かないといけない。あとは、ごめんと言うてね、抜けるんです。ふだんでも、そう。正月なんてウチでゆっくり過すなんてこともう何年もないですから」

この10年、家族で正月を過ごした記憶がないと笑う。

大手の葬儀社も事情は変わらないだろうが、人数がいれば、そこはそれなりにやりくりして休みをとることはできる。しかし、零細の社長となると陣頭指揮をとる立場。まず自分が率先しなければ、下のものはついてこない。だから当然と割りきってきた。
「だけどねえ」と川原さん。

川原さんの会社のポリシーは、お迎えのときには、社員二人で行くこと。「これは絶対なんです」

まだ霊柩車の搬送会社に勤めていたころ、葬儀社の担当者から連絡を受けて病院に行き、ご遺体と対面し、ひとりでテキパキとストレッチャーに載せ搬送することが少なくなかった。担当者はその間、会館などで葬儀の段取りをしている。

ひとりでご遺体を動かせるんですか?

「それは出来ます」
ときには病院のスタッフやご家族に手助けしてもらうなどしてコツさえつかめば、ひとりでやれないことはない。が、ご家族はそうした場面をしっかりと目にしている。一人か、二人か? 微妙に印象は異なるものだ。
「大事にしてもらっているかどうかは伝わりますもんね」

葬儀の仕事でいちばん大事なのは、「最初」だと川原さんは言う。
「お迎えのときの印象で、ここにお願いしようかとなるんですよね。できたら病院は早く運びだしてほしいから、あわただしい。でも二人いたら、ご家族とお話すること間もとれますから」

そこで「だけどねえ」だ。
社長のジブンはしょうがない。が、まだ若い社員は、、夜中に呼びだされる。それも一度も二度ではない、、、
「想像すると、イヤやろうなあ」と声をおとす。

「いちおうお正月とか、わずかですけど、これ取っといてと渡したりするんですけどね。ボクなら貰ったら嬉しいかなあというのもあって。でも、そういう仕事なんです。
だけど、この仕事を選んで後悔はしてないです。ええ」

ホントです、と言って屈託なく笑う。正月はないが、川原さんには毎年欠かず続けてきたことがある。
エビスさんのお詣り。
今年は願かけも込めてデッカイ縁起物にしたという。

↓あゆみセレモニーのInstagram


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