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写真は好きだよ。

「写真」について思う時、そこには感傷が伴う。被写体があって、撮影して、場面を記録するという行為とは別に感情がある。私にとっては、写真を撮影する行為そのものに喪失感があるから。

大げさな例えを出すならば、夏目漱石の「こころ」の作中で、主人公が墓地を通りかかった際、墓石のその形状や種類だけに関心がいったように、その「モノ」への感情が伴った経験がなければ、それそのものでしかないものも、先生のように、自分が自死に追い込んだ友人が眠る場所であれば、「墓地」には特別な感情が伴う。

「写真」に誰かの喪失と繋がる思いがあるということはないが、私にもやはり喪失感があるのだ。

写真データを眺めていて、見事に被写体が子どものものしかなかった。風景もあるにはあるが、必ず子どもが写っている。今の私は「写真」は思い出の記録であり、作品ではない。

10代から20代半ばまではフィルムカメラで写真を撮っていた。高校生、大学生時代は白黒フィルムで撮影し、暗室で現像、印画紙への焼き付けもやっていた。

デジタルカメラと違い、フィルムカメラでは、現像、焼き付けをしないと撮影したものは見れない。当たり前だけど、それが「写真」だった。

学生にとっては、フィルムそのものが高いし、現像に要する薬剤、印画紙諸々本当にお金がかかった。そういったことから、写真を1回撮影するという行為は、今のデジタルカメラやスマートフォンのカメラで撮影することとは慎重さにおいて全く異なり、それに付随する行為も全く違うものだ。

使用していたPENTAXのカメラは手動のもので、電池を入れるところさえなかった。絞り、シャッタースピード、そしてピントもすべて一つ一つの被写体に合わせて撮影していた。

天候、屋外、室内、電気の明暗、「光の量」を頭の中で想定して撮影する。白黒フィルムは、さらに焼き付け時に印画紙への照射時間を調整していく作業もある。とてつもなく途方で、何よりお金がかかった。

それでもどういうわけか、ファインダー越しに見る被写体はいつも美しく、視点を起きたい位置にピントを合わせることになんとも言えない幸福感があった。今思えば陶酔してたんだと思う。

そしてネガフィルムに被写体を照射するあのシャッター音。シャッター音を聞くとアルファ波が出ると聞いたことがある。確かに心地よかった。

1度暗室に籠ると、外の世界から遮断され、気づけば1人で5時間くらい作業していたなんてこともあった。暗室から出ても、いつの間にか夜になっていて、外も真っ暗なことに混乱したこともあった。

なんであんなに夢中でやっていたんだろう?特にセンスがあったわけでなく、誰に褒められることもなく、どこかの権威に認められるはずもなく、ただただ写真を撮っては、自室に飾って満足していた。ただそれだけ。

あのころは、作品として撮影していたので風景をよく撮っていた。現像して印刷した写真が自分の思い通りに写っていた時の喜びは大きかった。

大学を卒業し、身近に暗室が無くなって、カメラも壊れてしまった。そんなことで、写真を撮らなくなってしまった。

就職して、これからカメラを買うならデジタルカメラだろうと考え、ソニーの‪α‬を購入した。フィルムと勝手が違うので、少しの期間習いに行ったこともあった。そうこうするうちに、スマートフォンのカメラが主流になり、どんなに難しい被写体でも難なく実写以上に撮影出来る時代が到来した。

そんなことで、私の写真を撮影することへの情熱は今心のどこを探してもいなくなってしまった。そう死んでしまったのだ。

今は全く別の記録する行為として撮影している。

それでも、その記録された写真のどれにも感情があり、写真を見ればその時の時間が蘇る。topの写真は、琴引浜で撮影したもの。訪れた人は皆、砂浜の石英が奏でる「ひゅっひゅっひゅっ」という音を楽しんでいた。

まだ海水浴には早い時期で、波打ち際に足を浸して遊ぶ人も多く、我が子も靴を脱いで海に近づいた。寄せた波が引く時に、身体も引きずられるような感覚がして、息子はきつく妹の腕を掴んでいた。妹が海に引きずられては大変だと大いに心配したのだ。

いつもは喧嘩ばかりの兄妹が見せる思いやりを感じた貴重な瞬間の記録。

思いは変わっても写真が嫌いになるわけはない。写真は好きだよ。

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