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体験記 〜摂食障害の果てに〜(25)

肝不全

 私の肺に水が溜まっている、と主治医の先生から聞いた時、
(肺に水が溜まっているのに、鼻や口に水がこぼれてこないのは不思議だな。)
 と、思いました。水泳で鼻に水が入った時のように溺れそうになるイメージでしたが、肺から水は流れ出してはこないのです。ジャボジャボと音もしないし、言われなければ、全くわかりません。ただ、苦しい。おそらく、肺に溜まった水が、心臓を圧迫するからでしょう、息が重苦しく、息をしない方が楽なのではないかと、しばしば息を止めてみたほどです。
 最初は、気胸になった左の肺だけでしたが、右の肺にも少しずつ水が溜まり始めました。体内の酸素濃度が低いので、鼻に酸素チューブが取り付けられました。
 ある日、主治医の先生が、私の肺につながった気胸の管を抜く、と言い出しました。私の左の肺には、二本の管が取り付けられていて、一本は空気を抜くための物、もう一本はよくわかりませんでした。気胸の処置を受ける時、担当の医師が、
「中央病院に移ったら、『ついでに取りつけとけば良かったのに』と、言うだろうなあ。よし、つけとくか。」
 と、言って取りつけたのです。その一本を抜くのです。
「もし、また肺の空気が抜けたら、どうしますか?」
 と、不安になったので主治医の先生に尋ねると、
「その時はその時で考えます。」
 と、言われました。その瞬間、大きな喜びに包まれました。なぜって、一生、管をつけたまま、装置を引きずって生活しなければならない、と覚悟していたからです。装置は、小型の掃除機くらいの大きさでした。バスに乗る時も、お風呂に入る時も、管が外れないように注意しながら、装置をひきずって行かねばなりません。更に、管のつなぎ目に、消毒や抗菌テープを施す手間もかかります。でも、病院ではないので、細菌感染の可能性は大きいのです。気が滅入る人生になるはずが、この一言で、ぱあっと明るく前が開けました。先生に感謝、神様に感謝しました。
 私にはそれ以上の説明はありませんでしたが、私の家族には、詳しい説明がなされたそうです。
 父が仕事から帰った夕方、病院から電話があり、
「先生から話があるので、すぐ来てください。」
 と、呼び出されたそうです。父と母と弟が急いで行くと、
「肝臓が全く働いていないんですよ。」
 と、主治医の先生から言われたそうです。私の弟は、それを聞いた瞬間、
(肝臓が全く働いていないのだったら、他から肝臓を移植する、ということなんだろうか? だとしたら、大手術になる。これは、とんでもない話じゃないだろうか?)
 と、心配になったそうです。そして、
(もし、退院することができても、二度と普通通り生活できないだろう。絶対、車椅子生活になるだろう。)
 と、覚悟したそうです。
 肝臓は、血液を作る働きをしています。その肝臓が働いていないので、私の体には血液が作られていないことになります。血液は、赤血球と白血球、そして血小板から成り立っています。その内、血小板は、流出した血液を凝固させる働きがあり、それがあるおかげで、傷をしても血液が止まります。ところが、私には、その血小板が作られていません。管を取り外す時、出血したら、血液の流出が止まらなくなってしまいます。だから、管が抜けないのです。しかし、管は、長期間繋げていたら、細菌感染する恐れがあります。既に一ヶ月近く繋げているので、抜いてしまわなければならないのでした。
 そこで、血小板を輸血することになりました。主治医の先生が家族を呼んだのは、輸血の同意書にサインをもらう為だったのです。輸血は珍しいことではないように思えますが、その実、ショックで亡くなる可能性がある処置です。ずっと前、伝染病に感染した猫が、病院で全身の血液を入れ替える処置を受け、途中で息を引き取ったことがありました。
 家族は悩んだそうですが、サインしたそうです。しなければ、悪くなっても、良くなりはしないからです。私は何も知らないまま、輸血を受けました。そして、幸い、心配されたようなことは、何も起きませんでした。

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