伝統と文化を綴る日記(大神神社編)
神様に呼ばれないと行くことができない神社があるってご存知ですか?
今回は、私がその言葉を強く意識することになった神社をご紹介します。
それが大神神社
日本最古の神社、聖域を祀る神社、大和国一宮、神様に呼ばれないと行けない神社、日本屈指のパワースポットと呼ばれるなど特別な神社です。
なかなか不思議な体験なので有料にしてますが詳細な神社の紹介は読めるようにしてますのでよかったら読み進めてみてください。
ご祭神
ご祭神は、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)です。この神は、国造りの神として、農業、工業、商業、治病、造酒、製薬など生活全般を守護します。
また、疫病の鎮めや酒造りの神様としても信仰されており、厄除け・方位除けの神様としても尊ばれています。
創祀から現在まで
創祀に関わる伝承は『古事記』や『日本書紀』に記されています。『古事記』によれば、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)は出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)の前に現れ、国造りを成就させるために「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と三輪山に祀られることを望みました。
『日本書紀』でも同様に、大物主大神が大国主神の「幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)」であると名乗り、三輪山に鎮まることを望んだとあります。この伝承により、大物主大神は大国主神の別の御魂として顕現し、三輪山に鎮まられたとされています。
これらの神話により、神代に始まった古社であり、ご祭神の神格が如何に高かったかを物語っています。また、ご祭神がお山に鎮まるために、本殿を設けずに直接に三輪山に祈りを捧げるという、原初の神祀りの様を今に伝えています。
このため、大神神社は我が国最古の神社と呼ばれています。「大神」と書いて「おおみわ」と読むように、古くから神様の中の大神様として尊ばれ、第十代崇神天皇の時代には国造り神、国家の守護神として篤く祀られました。
平安時代には大神祭(おおみわのまつり)、鎮花祭(はなしずめのまつり)、三枝祭(さいくさのまつり)が朝廷のお祭りとして斎行され、神階は貞観元年(859)に最高位の正一位となりました。延喜式の社格は官幣大社で、大和国一之宮や二十二社の一社にも列せられ、最高の待遇を受けました。
中世には大御輪寺や平等寺を中心に三輪流神道が広まり、全国に普及しました。近世に入ると幕府により社領が安堵され、三輪山は格別の保護を受けまます
。明治時代にはその由緒によって官幣大社となり、現在も国造りの神様、生活全般の守護神として全国からの参拝があり、信仰厚い人々に支えられて社頭は賑わっています。
三輪山
三輪山は奈良盆地の美しい円錐形の山で、高さ467メートル、周囲16キロメートル、面積350ヘクタールです。大物主大神が鎮まる神の山として信仰され、禁足の山として入山が厳しく制限されてきました。
『古事記』や『日本書紀』などにもその存在が記されています。
特に杉は『万葉集』をはじめ、多くの歌集に詠われ「三輪の神杉」として神聖視され、後世に三輪山の杉葉で造られた杉玉が酒造りのシンボルとして酒屋の軒先に飾られるようになりました。
山中には神霊が鎮まる岩が点在し、磐座(いわくら)と呼ばれて信仰の対象となっています。
神社の古い縁起書には頂上の磐座いわくらに大物主大神、中腹の磐座には大己貴神、麓の磐座には少彦名神が鎮しずまると記されています。
三ツ鳥居と拝殿
大神神社の拝殿奥には、禁足地と拝殿の間に三ツ鳥居と瑞垣が設けられています。三ツ鳥居の起源は不詳で、古文書にも「古来一社の神秘なり」と記され、本殿にかわるものとして神聖視されてきました。
この鳥居は明神型の鳥居を横一列に三つ組み合わせた独特の形式で「三輪鳥居」とも呼ばれています。中央の鳥居には御扉があり、三輪山を本殿とすれば、三ツ鳥居は本殿の御扉の役割を果たしていると言えます。
拝殿は鎌倉時代に創建され、現在のものは1664年に再建された切妻造の建物で、国の重要文化財に指定されています。
近くには神社が多数存在
説明するよりホームページを見てもらった方が凄さがわかります良かったら見てみてください。
大神神社から徒歩県内にも神社が多数あって神聖視されている事がよくわかります。
私は2回行きましたが訪れると特別な場所だとわかるそんな場所です。
私は神社は好きですが神様に呼ばれないと行けない神社って呼ばれてもピンとこない人間でしたそんな私の価値観を変えた経験がありました
ちょっと不思議な参拝の経緯
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