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ジキルとハイドを読んで

ジキルとハイドを読んだ。
名前はたびたび耳にしていたけど、内容は全く知らなかった。

最近海外の古典を中心に読んでいるが、その中で特に好きな本だ。
怪奇小説として知られているみたいだけど、誰もが持っている二面性に触れたメッセージ性の強い作品に思う。

ジキルとハイドは二重人格の代名詞ともされているみたいだけど、これには違和感を覚えた。

この本を読む前、僕は二重人格と聞くと全く別の人格をイメージしていたからだ。二人は同じ体を使用している全くの別人、というのが僕が元々持っていた二重人格のイメージだ。
遊戯と闇遊戯みたいな感じ。

ジキル博士とハイド氏も全く正反対の性格をしているけど、若干ニュアンスに違いを感じる。ハイド氏はジキル博士の悪の部分を抽出した存在なだけで、元々ジキル博士の一部であるという事が決定的な違いだ。
別の人格ではなくて、あくまで一人の人間の二面性がそれぞれ発現している状態。ジキル博士が節制を重ねて閉じ込めていた本心、いわば欲望と反社会性の塊がハイド氏だ。

同一の人間の違う側面という見方をすると、例えばジキル博士が作った変身薬は超強力な精神薬のようなものかもしれない。
現代でいうと、医者から処方された精神安定剤だとしても、薬を飲んで精神が落ち着いた自分は果たして元の自分と同一と言えるのだろうか。薬によって作られた人格と見なすと、それはハイド氏のような存在になりえるかもしれない。

僕はそういった薬を飲んだ事がないから感覚がわからないけど、外部刺激によって考えが揺さぶられるという事は誰にでも起こることのような気がする。

感傷的な映画を見てセンチメンタルな気分になっている僕と、仕事でプログラムを組んでいる時の僕。どちらも地続きの自分ではあるけれど、それぞれの瞬間での僕の感受性は全く違っているだろう。
はたから見ると別人のように映っていても可笑しくはない。

僕は抑圧された自分というものを意図的にあまり持たないようにしているが、立場や他人の目を気にしすぎたり、気を使いすぎると、本来の自分は心の奥底に隠れてしまうものだろう。

それが行き過ぎると、ジキル博士のように薬を飲んでハイド氏に溜飲を下げる役割を担ってもらわないといけなくなってしまう。

ただ、実際はそんな薬はどこにも無い。
日本で自殺が年々増えている原因も、ストレスを喰い成長した内なるハイド氏が、自身を殺してしまっているのかもしれない。

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