見出し画像

タクシードライバーだった過去 2


過去に5年間程タクシードライバーをしていた話パート2


タクシーの仕事は簡単ではなく、みすぼらしくもなく難しくて意味があって素晴らしい

しかし世間からの評価は非常に低い

これは僕も若い頃、駅にタクシーを停めてドライバーが何人も路上で井戸端会議をしタバコを吸いながらハトに餌をあげていたのをみていてそう思ったのも事実

働いてみて素晴らしい仕事と感じたのも事実だ

僕の働いていた会社には労働組合があり社員=組合員であった

ある日2つの班の班長を兼任していた僕に組合の支部長選挙に出て貰いたいという打診があった

ただでさえ毎日忙しく、当時僕はまだ子供も小さく元々拘束時間が長い上に新人班と夜勤班の班長もしていた

当然、ミーティングや会議も参加し班員がトラブルを起こせば教育や指導、事故を起こせば事故処理なども行っていた

それでも自分で売り上げをあげないとお金にならないのがタクシー

睡眠不足の目を擦りながら毎日悪戦苦闘の中の打診

断る事は簡単だが当時所属していた組合支部長が頼りない方だったのは僕も感じていた

沢山の協力者がいる事を前提とした上で引き受ける事にした

適正な支部長選挙を経て最年少支部長になってしまった

これで月に何回か開催される会議や組合主催のイベントや社員旅行、社員からの要望や仕事をしていく上でのわだかまりの解消に奔走する事になる

もちろん班長も兼務だ

38歳で転職し売り上げを上げる為に夜勤に切り替え中途採用された新人を受け入れて指導・教育する新人班と一癖二癖ある夜勤班の班長をしながら支部長も引き受け目がまわる程の忙しさとなった

組合が全盛だったのはもう随分前の話だがタクシーや現在僕がいる物理業界は勢や力はあまり無いものの存在する

労使の関係において組合は言わば会社の見張り役であり労働者に寄り添う存在だ

当時は基本的に僕より年配の方が多くどこの現場もそうだが少なからず派閥めいたものがある

特に年配の女性ドライバーの方の扱いは難しい、僕は誰とでも話はするし可愛がってくれる方も沢山いたが僕が入社する前からある遺恨などはわからない

AさんとBさんは過去にこんな事やあんな事もありAさんが組合主催の花見に行くならBさんは参加しない

とか、、そんな感じ

これでは通常の仕事もはかどるはずもなく周りのドライバーも気を使ってばかりになる

一方で交通費などの現実的な待遇面の不満もドライバーは言ってくる

改めて80人超えの営業所の規模の大きさや抱えてる問題が山積している事に気付かされる

そもそも前の支部長は何をやってたんだよ

この頃から少しずつ体調が悪くなっていく

慢性的な睡眠不足

夕方から明け方まで週5〜6日稼働してそのまま朝10時から本社で会議

昼の15時から班会議

18時から通常勤務

みたいな、、

唇にはヘルペスができ、目の擦り過ぎで物貰いができる

寝よう寝ようと努力するがなかなか根付けない

寝酒の量は日に日に増して行き支部長をやり始めて1年で鬱病と診断され2ヶ月間の入院で病院のベッドの上で薬漬けにされた

何やってんだか、、

何もやる気が起きない

まだ下の子は当時3才

何度も何度も妻と見舞いに来てくれた

何だが当時は僕はよく泣いた

会社の人間もたくさん連絡してきてくれたが話す気力もない

そしてそのまま僕は現場に戻る事なくタクシー業界から離れた


無理し過ぎた事も悪戦苦闘の日々も鬱病に自分がなった事も今となってはその経験値は大きい

仕事や責任からは逃げなかったし人と向き合った結果だった

その反面辛くてしんどい時間も確かにあった

鬱病を医師に告げられた時の事を鮮明に覚えている

カウンセラーに仕事の内容や自分のやっている事、任されてる事、考えを話してる最中に43才にもなるおっさんが過呼吸になりめちゃくちゃ泣いてる様

ここで休息した方がいいですよ

と、医師に言われいわゆる鬱と言われた

自分の容量をこえていた

今では病気も無く毎日健やかに穏やかに過ごしています

タクシーでの経験は後の僕に沢山の影響を与えてくれた

仕事との向き合い方も人との関わりも企業や組織の理も

それでも言えるのはタクシードライバーは底辺の仕事ではないし

世の中に必要とされるとても意味のある素晴らしい仕事だという事


読んで頂きありがとう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?