芸術は練習しては駄目だから練習しない…は本当か?
ロックをやってるミュージシャンが芸術は練習したら駄目だから練習しない…友達がポツリと言った一言がずっと引っかかっている。そのミュージシャンが自分の音を芸術だと思っている事は良い。作る作品を芸術かどうか考える事は照れがあり大多数はそこを考える事から逃げてしまう,しかしお金を貰って演奏し,
観てくれる人を満足させなければいけないのだから,そこまで自分を卑下する必要はないんじゃないのか?むしろ芸術とは何か自分なりの答えを出す事は必要なんじゃないのか?
芸術は練習したら駄目の話は偶然TikTok で見た岡本太郎が芸術について話した内容。それは芸術作品とは自分自身の心の中に有る感情を嘘偽りなく作品に投影する。投影する為のテクニックを身に付ける作業は,自分自身の感情を作品に現す事から,技を見せる手段に変わっしまう…
それで良いんじゃないのか?
岡本太郎の作品,太陽の塔くらいしか頭に浮かばないが,あの作品が悪いとは思わないが,あれはテクニックを使った作品なんじゃないのか?もし心の奥底に眠っている物だけを投影した作品だとしたら外ズラが綺麗すぎる。あれは岡本太郎が理想とするアバンギャルドを頭に浮べ,一般ウケする様,技で帳尻合わせをした作品だと思う。もし太陽の塔が芸術なら言ってる事の辻褄が合わない。
どう考えてもゴッホの絵は技抜きで描けるとは思わないんだ…
作品を作る為,技を切磋琢磨することで己が何者なのかが分かるんじゃないのか?
子供はテクニックを持たないから芸術に近い所にいると言われるが,それは違うと思う。
子供は善悪の分別が無いから,トンボの羽を躊躇なくむしったり,戦争捕虜の頭を簡単にぶち抜いたり…自分の本能の赴くまま行動する事に何の躊躇いもないからじゃないのか?大人になれば社会生活を通して道徳や理性を知り,それが本能のまま行動する事を止めているんじゃないかと思う。だから,芸術に邪魔な物はテクニックより理性だと思う。
作品を作る時,大切なのは良い物を作ろうとする気持ち。
だから
技を身に付ける事は自然な事だと思う。
そしてそういう作品を飽きるまで数えきれない程作る必要が有る,そうすれば岡本太郎の言う,ある日身に付けた技を使いたくなくなるかも知れない。
完成した彫刻を床に叩きつけ,壊れたオブジェが
作者にとって完璧な作品とか充分あり得る。
そこを通らないで,それっぽく床に叩きつけた作品がそこら中に蔓延っている。
自分なりに考えた芸術とは,その作品に向かい合った時,人の人生を変えてしまう力が有る作品が芸術なんじゃないかと思う。
生きる勇気を与える作品も有る反面,今までの人生を無茶苦茶にしてしまう恐ろしい力を持った作品も多分有る。
もしも絵を見る目を持った人がお金持ちで芸術と呼ばれる作品,ムンクの叫びを買って家に飾っていたらその人の人生は作品によって確実に悪い方向に転換するんじゃないのか?
美術館は人の人生狂わせない為に有る様な気がする。
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