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Wizardry 神と悪魔の世界に非ず

幾層もの複雑な魔法陣の中に男が一人佇み、周りに複数の人間たちを侍らせている。
中央の男は何やら呪文のようなものを詠唱中で、その周りを四本の杖が中空に座し男を囲んでいた。
周辺の磁場が急激に変化しているのか、所々に小さな火花が飛び散っているのだが、男は気にもかけずに続けている。
「どうでしょうか?」
「 …未だじゃ。」
男は目でその場所を指す。
其処だけが周りと流れの速さが少し違い、織り成す渦の形を真円とはさせていなかったのだ。


元来《力》とは調和の上に成り立つ秘蹟の一つであるから、それが叶わぬのなら求める力とは成り得ない。
中央の男はその事を他の誰よりも熟知している為に、また失望も大きかった。
「 …っ」
喩えようのない焦燥感に襲われながら、しかし男の想いは既に別の次元へと飛翔していた。
唇を噛む暇は無いのだ。こんな状態で "あの方" が還ってこられたら!
誰に気付かれる事なく、男は窮地に立たされていた。
そう、自分ですら…



麗都リルガミンは王制ながら【ブラザーフット教団】が実質的な管理、運営を執り行ってきた。

それは《猛り狂う結び目》の発見とその制御に拠るもので、彼等が事業を放り出せば恩恵に預かれなくなるばかりか、やがては全て滅びるしかない。
教団にあらゆる特権が発生し、かつ集中したのは自然な成り行きと謂えただろう。
時には【牙の教会】などという邪教の蔓延りを許してしまった過去もあったが、数多の冒険者たちによる活躍でその心配も昔日のものとなりつつある。
しかし、教団最高の能力者ゲートキーパーは権威の頂点に立つ事を拒み続け、あくまで教団幹部としての立場を固持していた。
それが為に教団としては世間に対し一歩退かざるをえなかった訳だが、ここに来て事態は大きく変わり出している。
『同じ教団幹部ソーンの裏切りにより《渦》の中心にゲートキーパー様が囚われた!』
この完全な制御を1人で仕切れる人間の不在は民衆の不安を煽り、王制すら揺さぶり始めている。
しかしトップ2人を失ない騒然とする教団に喝を入れたのは第3の男=グブリ・ゲドックその人だった。
彼は秘密裡に単独でゲートキーパーやソーンを凌ぐ能力者と噂される隠遁者=ララ・ムームーの協力を取りつけると、それまでのカドルト神信仰を脇に追いやり教団の再起を謀った。
その余りの手際に訝る構成員も少なからず居たのだが、彼らは1人残らず "探索" へと駆り出され、遂には行方不明となった… そして教団の意思は偏り出したのだ。

しかし、その意思の源泉は独り懊悩(おうのう)の境地に閉じ込められていた。










星々の運行は偶然という要素を最後に絡め、そのパズルを完成させる方程式の要とされる。
機械的な歯車のように計算し尽くされた世界の只中に偶然が齎す衝撃は計り知れず巨大だ。
一匹の蛙が葉から跳ぶ瞬間、葉にどれだけの水分が在るのか? その時だけを捉え計算する事は可能だが、通底している可能性の全てを孕ませて未来を予測する事は不可能に近い。
しかし、偶然が齎した新たな結果は周辺へと波及し影響を与えるが、その応えも必ずや還元され元の世界を揺さぶるのだ。
Aは最早A'であり、Aそのものでは無い。
グブリ・ゲドックは夢を見る事が極端に少ない。
彼は不確定な事象に強い興味を示さない型の人間だから、夢を見たからといって覚醒時に試そうとは少しも思わないのだ。
現実的というよりは寧ろ逆で『夢を見たい』という欲求の裏返しに他ならないのだが、彼のような人間が見る夢は独善的でしかない内容だから理解され難いという点では結局は同じ事なのかも知れない。
だからか、彼が想い描く理想の結論への方程式に偶然など必要ない。
それが如何に優れていようとも、判断する基準は其処には無いので彼にしてみれば『存在しているだけで疎ましい』となり排除に向けて精力を傾ける事となる。
彼は本当に現実の結果を欲する理想主義者が故に夢などに囚われる事なく理想の道を往けるし、自分のような人間が夢を見たら "終わり" だという事を深く理解している。
だから【猛り狂う結び目】の力を支配できないのだという諦念に包まれ始めているのだが、それが彼にとっては正解であり、理想でもあるようにさえ思える。
彼はA'など求めない。
ある日の…
仄かな灯りだけの部屋でのゲートキーパーとソーンによる2人の会話を偶然から耳にした日、彼の理想は実現すべき盲執となり、目指すべき境地となった。
もはや、この段階に於いて神の実存性や崇高さは問題では無い。
2人の会話から神への敬意は感じられるが、それは自分たちを支配する高次の存在というよりは仲間に近い、そんな想いに耽りながら会話の世界に自分を埋没させていくと不思議な事に周りの景色が変化してきた。
この世界は朦朧とした意識を中心に渦巻く構造を成しているが、それは一つだけでは無く幾つもの変遷を重ねた彩りの《揺り籠》となって命を創り出している。
暗黒すら母となり、幼い命を宿すのだ!
その事実に気付かされた時、2人の会話を耳に出来た事はゲドックの心に一条の光を齎した。
『必要ならば… 神は自分たちで創れば良い!』
彼は敬虔な心を取り戻し、信仰の道に足を踏み入れた若かりし頃のように心平安な日々を手に入れた。
空いた2人の席には適当な人物を選べば良いし、自分は玉座には近付かない。
そこに彼の求めるものは金輪際ないからだ。

「おぉ!ララァ、我らの声が聞こえますか !? もうすぐ新たな神が産まれます!」
2人のうち1人は反逆者となり、1人は極限まで消耗している… ゲドックの深い喜悦の放流は修行中の少年僧の唇へと吸い込まれた。


歴史が、というより…
この宇宙に於いて変化が訪れる時に必ず起こる現象は戦いであり、その根底に鎮座しているのは死と再生である。
果てなき死と果てなき再生が織り成す新たな世界は優れた芸術品であり、その為の犠牲を疎ましむのなら朽ちていくしかない。
死から生へ、生から死へ向かうのはこの宇宙での不変の法則であり、生を望むから死ぬし、死んだ肉体と魂は違う次元で再生され、またいつか死ぬ。
よく人間は永遠の命を望むと謂われるが、それは大きな間違いである。
死を受け入れ、かつ乗り越える境地に達するのが究極の願いであり、その為に血や涙を流すのだ。
少なくともグブリ・ゲドックは確信している。

「おぉ!ララァよ! 我らに必要なのは… 本当に必要なのは信仰を棄てる強い心を手にする事なのです。」
最強の協力者がどういう行動に出るのかは承知している。
彼は隠遁者ゆえに権力や集団に属する事を極端に嫌い、自身は其処へは近付かない。神にも魔王にもなれる能力がありながら、絶対にそれ等を望まないのだ。
故に彼は変遷する世界、宇宙に於いて飽くまで自己を貫き通し、唯我独尊な傍流たりえたのだと謂えよう。









その日は朝から雲雀(ひばり)が騒がしかった。
確かに陽気は底抜けに明るく、例え病床に臥していようとも外へ出かけたくなるような一日だったが、それに併せたのか… ゲドックを奮い起たせる報せが届いた。
「裏切り者ソーンが討ち死に!」
王に宛てる定期報告書簡が手から滑り落ちた音でゲドックの魂は現世に還ってきた。


(仕留めたか!)
しかし、それは最高の能力者の復活も意味している筈だが…
「ゲートキーパー様は御無事か !?」
夢を見ない男はあくまで慎重な姿勢を崩さないが、報せを齎した使いの返事は近い将来に枢機卿となる男に夢を見させるのに充分な威力を孕んでいた。
「そ, それが… ソーンを討ちとった者らの話によりますと、ゲートキーパー様は渦巻く虚空へ消え去ったと申しております。」
夢を見ない男が初めて夢の一端を掴み心が躍った。
虚空… その言葉が意味するものをゲドックは《猛り狂う結び目》で何度も目撃したし、何度も煮え湯を飲まされていて深く承知している。
つまり、ゲートキーパーは『この世界へは還ってこれなくなった』という事実だ。
しかし修行の賜物なのか、顔色一つ変えず神妙な面持ちのままで信者を召集すると静かに語りかけた。
「今は瞑目し祈りましょう… 彼の御魂は我らと共に!」
大声で祝詞(のりと)を詠唱する信者たちの姿は堪らなくゲドックの脳髓を刺激し、改めて重要な事実を気付かせる。
(これこそが我が理想郷であり我が夢!)
もう彼と彼の弟子たちに一切の迷いは無くなった。
この流転する宇宙の中で最高に力強く、魂を縛り付ける拠り処を探しあてたのだから!
(信じること…)
もはや血を流されるだけの贄では無い。
我らは永遠の呪縛から解き放たれ、約束された至福の場所へと旅立てるのだ。
これこそ、我らの自由たる理想郷!

絶対的な能力者を失った事で《猛り狂う結び目=渦》は完全な制御が不可能となり、いつかは世界そのものを破壊してしまうだろう。
しかし、混沌とする世界なればこそ自分たちのような存在が不可欠なのだと改めて痛感する。

その混沌の中に屹立する自分たちは信仰に支えられた神の使徒であり、不変の法則の遣い手であるが故に無限に自由で、場合によっては神そのものと為る事も…
こうして賽は盆に捕り籠められた。


討ち取られたソーンの死体は頸(くび)を切断され、胴体共々に厳重な魔法処理を施された後、別々の場所に封印埋葬された。
当然その場所は教団の最高機密とされ、今に至るも正式に公表されてはいない。
”グブリ・ゲドック枢機卿” は可能な限り教団の記録から彼女の痕跡を消し去る事に残りの人生を懸けたが、一部で彼女への根強い信仰が在り続ける事に暗澹たる心持ちで改教活動に腐心したという。
そして、虚空の彼方へと消え去ったゲートキーパーは生きながら天上界へと逝った《神の子》として教団の絶対的シンボルとなり、あまねく地上を支配する精神の王として教団を守護、引率してくれる筈である。

夢を見ない男が描いた壮大な夢物語は教団にとって最も喜ばしい形でピリオドを打ったのだ。




その頃…
全く異なる時間軸を持った遠い銀河の果てに小さな黒い渦が少しずつ速さを上げて発生しかけていた。
次はどんな夢を見るのか?


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