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モモを読みました

いまの自分に突き刺さりながらも
豊かな内容で、久々に長めの小説を読んだが、
とても良かった。

自分が気付いたのは、
自分が、
特に野望はないくせに
「とりあえずなにか身になることをしていたい、、」
とか、
「成長しなくては、、」
という謎の向上心だけがあり、焦りだけがある状態だったこと。

で、いろいろとちょっとずつ試してみては、
脳内で、
反省とか、後悔とか、学習を繰り返してた。
そして、意思と反した
「こうであるべきだ」
「こうでなければ」
を意識しすぎて、楽しいと思えることがなく、うっすら病んでいたこと。

実際振り返ると楽しいことをしてたのに
思い出の割に気持ちが伴っていない状態であったこと。

これはもう、まさに作中で出て来た
灰色の男たちに支配された状態に近いのでは、、?!(近いというかもはや同じ)

でも最近になってようやく
自分が本当はどんなことが好きなのか
どのような状態が心豊かでいられるのか。
を少しずつ、一部ずつわかってくることができている気がする。

というのも、その病みが少しずつ
なくなっきていてる気がするからだ。

しかしながら
いまだになにかを成し遂げたとしても
それすなわち自分の幸せになるのか?

SNSで映えるような生活や人間関係をして、
自分はちゃんと満たされるのか?

などと考えてしまう。

もちろんやったほうがいいこともある。
その為に、早く動いた方がいいこともある。

うん、それはもちろんそう。
それだけではない。そういうことではない。

柔軟に。という言い方ががいいのかな。

子供達に大人から遊び方を逐一教えて、
子どもたちが自分でなにかを作り出せないように、出さないようになってしまったシーンを読んだ時、
この時も深く自分と重ねてしまった。
どちらかというと、
学校の勉強が得意で、
正解を探すのが得意な自分は
臨機応変に対応したりすることが苦手だったりする。

また、ものづくりは好きだが、
テイカーの気質が強い為に、自分から何かをするとか作り出したり、それを他者に提供するのが得意分野ではないからだ。
最近ようやくできるようになったり、意識するようになってきたかな、、、

改めて思うのは

ひとりひとりの時間を
心豊かである為に、する為に
自分の手で、自分の考えで一つ一つ動いていきたい。

どうしたい、なにがしたいはその時々で変わる可能性もあるから、
その時の自分の輪郭をつかむ努力は惜しまず、
自分のペースで、変わることを変えずに。
どうか空しくならないように。

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