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夏目漱石「行人」考察(31)「娘さん」と三沢は関係をもった?


1、前提:二重伝聞


三沢の話では、芸者の「あの女」にそっくりだという、精神病の「娘さん」。
彼女に関する話は、語り手・二郎は全く目撃していない。
つまり「三沢から聞いた話を、『信頼できない語り手』二郎が書いて、第三者に見せる」という二重伝聞になっている。
信用性に疑問が残ることが前提だ。


2、「娘さん」のプロフィールー「K」の親戚?


上記のように二重伝聞ではあるが、「娘さん」は以下のような女性である。

その娘さんは蒼い色の美人だった。そうして黒い眉毛と黒い大きな眸をもっていた。その黒い眸は始終遠くの方の夢を眺ているように恍惚りと潤って、そこに何だか便りのなさそうな憐を漂よわせていた。

(「友達」三十二)

しかし、「娘さん」の容姿について語る第一声が「蒼い色の美人」というところが、素直だ。

「行人」は、お兼を「器量はそれほどでもないが遠見の大変好い女」、大阪の看護婦2人を「醜い」「美しい」と描写するなど、女性登場人物の美醜を露骨に表現している。
一方で、長野二郎や一郎、三沢、長野父といった主要男性について、顔の美醜がほとんど語られていない。これはなにを想像させようとしているのか。ちなみに岡田や佐野については髪が薄いとしつこく強調されている。

「娘さん」のプロフィールは、以上である。他に年齢や、兄弟姉妹とか趣味経歴については、なんらふれられていない。
ただ婚姻経験のある女性を三沢が「娘さん」と呼んでいる以上、三沢よりも年下と思われる。

あえて挙げるなら家の「菩提寺」は、「築地の本願寺」(「帰ってから」三十一)であり、新潮文庫の注解によれば浄土真宗だそうである(令和四年七月三十日付刷版)。
もっとも「娘さん」個人の宗旨と同じかは不明であるが。

なお、漱石の他作品である「こころ」のKの実家も「真宗」であり(「下 先生と遺書」十九)、同じく新潮文庫の注解によればこれは浄土真宗ということである。行人の「娘さん」と同じである。

(ん? 「娘さん」と「K」とがきょうだいの可能性? でも出身地がKは「先生」と同郷、すなわち新潟だからそれはないか、、親戚?)


3、ここでも「五六年前」とその一年後


3(1)時系列


「娘さん」に関連する時系列は以下のようになる

・(時期不明)元々三沢と「娘さん」が、なんらかの知り合い程度の関係にはあった。
(「三沢の父の知人の娘」、及び三回忌を振り返った三沢の「なぜそんなら始めから僕にやろうと云わないんだ。」との発言(「帰ってから」三十一)からは、ある程度知っている間柄であったと思われる)

五六年前 - 三沢の父の仲介で結婚(両家とも三沢の父の「知人」)

その約1年後(=四五年前) - 娘さんが三沢宅に移る。その前後で精神を病みだす
(※ 四五年前の二郎の富士登山(「友達」二)に、三沢も同行していたと思われる(同)十二)

(時期不明)娘さんの病気が悪化→入院

約2年前の夏か秋頃、死去
(「三回忌」は死去日を一回目として死去から2年目の命日)
(夏場に入院した三沢が三回忌に間に合わせるため退院)

・「つい近頃」三沢の父が死去(「帰ってから」三十)

・三回忌法要に三沢が出る


入院時期が不明であるが、最長で娘さんは3年ほども三沢宅にいた可能性もあるということである。


3(2)「五六年前」+「約一年」

ちなみに「五六年前」+「約一年」のパターンは、「行人」において他にもある。

・岡田が五六年前に大阪の保険会社に就職して長野家を離れる。その一年後に上京してお兼と結婚

・「女景清」の女が目が見えなくなってしまったのが「六年ほど」前。その約一年前に夫を亡くしている(「帰ってから」十七)

・明記はないが、お兼と直が、「親しみの薄い間柄」「気心が知れない」「両方共遠慮がち」(「兄」四)であることから、おそらく直とお兼が長野家で顔を合わせたことはほとんどない。つまり直と一郎との結婚も、四五年前から五六年前の間と思われる。


4、三沢と、「娘さん両親」との相違


「娘さん」に関する話は、すべて三沢の口からしか出ない。
しかしその三沢と、「娘さん」の両親とで相違があると示される。

4(1)元夫は悪くない?


娘さんが精神を病んだ時期について、三沢の弁

 その娘さんは余り心配したためだろう、少し精神に異状を呈していた。それは宅へ来る前か、あるいは来てからかよく分らないが、とにかく宅のものが気がついたのは来てから少し経ってからだ。

(「友達」三十一)

娘さん両親の認識

「馬鹿にもほどがあるね。露骨にいえばさ、あの娘さんを不幸にした原因は僕にある。精神病にしたのも僕だ、とこうなるんだね。そうして離別になった先の亭主は、まるで責任のないように思ってるらしいんだから失敬じゃないか」
「どうしてまたそう思うんだろう。そんなはずはないがね。君の誤解じゃないか」と自分が云った。
「誤解?」と彼は大きな声を出した。自分は仕方なしに黙った。彼はしきりにその親達の愚劣な点を述べたててやまなかった。

(「帰ってから」三十一)

今気づいたのだが、三沢と娘さん両親とでは、三沢に対する認識が異なるだけではない。娘さんの元夫に対する認識も、全く異なるのである。

三沢の認識では、元夫が放蕩家であったため、娘さんが精神を病んだということであった。
この話が先に示され、かつそれによりつながる「早く帰って来て頂戴ね、ね」との台詞も印象的なので、そのイメージを固めてしまっていた。

「ところが事実はどうもそうでないらしい。その娘さんの片づいた先の旦那というのが放蕩家なのか交際家なのか知らないが、何でも新婚早々たびたび家を空けたり、夜遅く帰ったりして、その娘さんの心をさんざん苛めぬいたらしい。けれどもその娘さんは一口も夫に対して自分の苦みを言わずに我慢していたのだね。その時の事が頭に祟っているから、離婚になった後でも旦那に云いたかった事を病気のせいで僕に云ったのだそうだ。――けれども僕はそう信じたくない。強いてもそうでないと信じていたい」

(「友達」三十三)

しかし、娘さん両親は、元夫には「まるで責任のないように思ってる」というのである。

この点、我が子の離婚トラブルについて親が、愛情のため客観的な認識ができず、相手を過剰に悪く見てしまう心理はあるだろう。
しかしここでは逆に「離婚になった娘の元夫」を、娘の両親が特に批判していないのである。むしろ仲人の義理だけで我が娘を置いていてくれた家の、息子に対して当てこすりをしているのである。

これは、「娘さん両親のほうが正しい認識」であると、示されているのではないか。
二郎の「どうしてまたそう思うんだろう。そんなはずはないがね。君の誤解じゃないか」との台詞も、「もし三沢の話どおりならその両親の認識はあり得ないだろ」と言うことによって、三沢の話には虚偽もしくは誤認があると、示したものではないか。

4(2)「あの女」に似ている = 陰で悪口?


そして、この「娘さん」は、三沢が大阪で出会った芸者の「あの女」とよく似ている、ということだ。

私は「あの女」について、「客の前では愛嬌を振りまくが陰では悪口言っている」ものだと推察した。

もしこの推察が正しく、かつそれが精神病の「娘さん」にも該当するとしたら、どうなるか。
娘さんは、三沢のいないところでは三沢の悪口、少なくとも三沢が二郎に言明していない内容を言っていた、こうなる。

そして、その悪口等を両親が聞いていたとすれば、両親と三沢とで認識が全く異なることにも説明がつく。


4(3)三沢と娘さんは関係を持った?


私は、三沢と娘さんとが、性的関係を持ったと推察する。
理由は以下のとおり

・上で書いたように、「娘さん」は、長ければ3年間も三沢宅に滞在した可能性がある。

・そして、娘さんは「美人」である。少なくとも三沢にはそう見えている。

・三沢の(勝手な)認識では娘さんから、「こうして活きていてもたった一人で淋しくってたまらないから、どうぞ助けて下さいと袖に縋られるように感じ」ている(「友達」三十三)。繰り返すがこれは三沢の認識であり、娘さんがこう発言したわけではない。

・事情は不明だが「娘さん」は実家や他の家に戻れず、三沢宅に特段の義理もないのに世話になっており、三沢家の人間に対して逆らいにくい立場にあった。

・上記のように、離婚トラブルがあったにもかかわらず、娘さんの両親は元夫を悪く思っていない。むしろ娘が精神を病んだ原因は三沢であると確信している。

・Hが一郎に対し、娘さんの死後、三沢が「冷たい額に接吻した」と話している(「兄」十)。Hの話がどこまで信用できるかはともかく、三沢と娘さんとの間に、ソフトなものも含めてなんらかの肉体的接触があり、それを三沢がHにほのめかすかあるいはHが三沢にしつこく尋ねるかして、聞き取ったものではないか。

・三沢の母が、娘さんについて二郎に語る際の描写。

「不幸な方で、二三年前に亡くなりました。せっかく御世話をして上げた御嫁入先も不縁でね、あなた」
 油絵のモデルは三沢のいわゆる出戻りの御嬢さんであった。彼の母は自分の聞かない先きに、彼女についていろいろと語った。けれども女と三沢との関係は一言も口にしなかった。女の精神病に罹った事にもまるで触れなかった

(「塵労」十三)

どうだろう。娘さんが精神を病んだ原因が確実に元夫にあれば、そのことを息子の親友である二郎に伝えても、特に問題はないと思われる。「嫁入先も不縁」と普通に話しているのだから。

しかし三沢の母は、娘さんの精神病については、まったくふれなかったのである。
これは、精神を病んだ原因が、少なくともその一端が、息子(三沢)にあると母親も思っているからではないだろうか。

それを夏目漱石が示してくれたのが、この「女の精神病に罹った事にもまるで触れなかった。」との一文であると。

・「娘さん」との呼び名
一度結婚した女性を三沢が「娘さん」と呼ぶ不自然さは、わざわざ注記されている。

それで三沢の父が仲人という義理合から当分この娘さんを預かる事になった。――三沢はいったん嫁いで出て来た女を娘さん娘さんと云った

(「友達」三十二)

これは「その奥さんはー」と語ってしまうと、関係を持ったことが不倫じみてしまうので、「恋愛・性愛対象として見ても許され得る相手」の意味で、あえて「娘さん」と呼んでいたのではないか。

それを示すために、漱石は「娘さん」の呼称の不自然さを、わざわざ注記したのではないか。


5 二郎の嫌味?


三沢が娘さんの三回忌における娘両親からの態度に憤っている時、二郎は過剰とも思われるポエムを語り出す。

彼はこう云って、依然としてその女の美しい大な眸を眼の前に描くように見えた。もしその女が今でも生きていたならどんな困難を冒しても、愚劣な親達の手から、もしくは軽薄な夫の手から、永久に彼女を奪い取って、己れの懐で暖めて見せるという強い決心が、同時に彼の固く結んだ口の辺に現れた。

(「帰ってから」三十一)

この箇所、私はしばらく、「今でも生きていたらどんな困難を-」と、三沢が熱く語ったかのように記憶していた。だがちゃんと読んだら三沢が口にしたのではなく、二郎が三沢の表情から勝手にポエムを作っていたのである。

これは、三沢の感情に「少し滑稽を感じた」(同所)とする二郎が、三沢の思い込みの強さを、半ば揶揄した嫌味なポエムではないだろうか。

実際、これの前振りのような話として、彼らは大阪の病院で、向こうはなんとも思っていないであろう「あの女」と「美しい看護婦」のことを、必死に毎日毎日気にかけていたではないか。

そして、「あの女」と「娘さん」とは、よく似ているのだ。


6、私の推察


私の推察では、以下の流れとなる。

・出戻った女性(娘さん)を、三沢が気に入り、猛アプローチをかけた
・女性は元々精神的に疲労していたところへ、世話になっている家の息子である三沢を邪険にするわけにもいかず、対応に困り、精神を病んだ
・その精神を病んだ結果、娘さんが強い好意アピールのような行動をするようになった。三沢は喜び、関係を持った。少なくともなんらかの性的接触をした。しかしますます女性の精神は悪化した。
・どこかで、一時的に回復した娘本人ないし誰かから事情を聞いた両親は、三沢が原因であると確信した。

こうではないだろうか。
三沢と「娘さん」とのエピソードは、「普通ならきつくフラれるはずの男が、相手が精神を病んだ結果、たまたま上手くいった。しかしすぐ悲劇になった」という話であろうか。

もしかして、長野一郎がお貞に手を出していたら、こんな不幸になっただろう、とのたとえだろうか。


7、私の個人的な話


こんな推察を長々書いたのだが、私が最初に「行人を」読んだとき、最も印象に残ったのはこの「娘さん」の言葉

早く帰って来て頂戴ね、ね

これであった。
女性、しかも美人の側から、毎日こう声を掛けてもらえる― 
このエピソードに、当時の私は、夢をみた。当時の私にとってそれは、遠い夢であった。

そこから十数年後、かつての私が見ていた夢は、毎日の現実となったのである。


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