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夏目漱石「行人」考察(30)三沢はわざと入院した?



夏目漱石「行人」の主人公・長野二郎の友人「三沢」。

「行人」ではこの三沢に関連して、芸者の「あの女」と、精神病の「娘さん」という、二人の女が出て来る。

まず「あの女」について、考察したい。

1、「あの女」


大阪の芸者であり、三沢と同じ病院に入院する「あの女」。
二郎の描写で、「美しい若い女」(「友達」二十)である。しかし直球すぎる素直な表現だ。

1(1)三沢はわざと入院し、「あの女」も入院させた?


これについてであるが、どうも三沢はあえて意図的に入院をし、同じ病院に「あの女」が入院するのを待っていたのではないか。そう解釈する。

まず三沢の入院だが、急病で運ばれたのではなく、自分の意志で入院しているのだ。

「君には解るまいが、この病気を押していると、屹度潰瘍になるんだ。それが危険だから僕はこう凝として氷嚢を載せているんだ。此処へ入院したのも、医者が勧めたのでも、宿で周旋してもらったのでもない。ただ僕自身が必要と認めて自分で入ったのだ。酔興じゃないんだ」

(「友達」十五)

現代(令和6年)からするとちょっと驚く内容だ。自分から頼んで入院することが可能なのかと。私も私の身内も「一体この身体でどう病院から帰宅しろと?」という状態で入院を断られたことがある。
三沢は、「酔興じゃないんだ」と言っているが、こんな発言を入院患者は通常しない。むしろ酔狂でやっている後ろめたさを匂わせているようだ。

また、三沢がわざと入院を長引かせているのではと思われる描写もある。

 彼の病気は軽いような重いような変なものであった。宅へ知らせる事は当人が絶対に不承知であった。院長に聞いてみると、嘔気が来なければ心配する程の事もあるまいが、それにしてももう少しは食慾が出る筈だと云って、不思議そうに考え込んでいた。自分は去就に迷った。

(「友達」十六)

ここも三沢がわざと食慾のないふりをして入院を長引かせている、そう解釈が可能だ。

そして、少なくとも三沢が「あの女」も同じ病院に入院するかもと予期していたことは、確定している。

「この病院の名も実はあの女に聞いたのだ。僕は此処へ這入る時から、あの女が殊によると遣って来やしないかと心配していた。」

(「友達」二十)

ここで「心配していた」とあるが、「期待していた」の間違いではないか。あるいはそう指摘したくなるように、漱石があえて「心配していた」と書いたのかも。

実際、「あの女」が病院に来たのではと知った三沢は、嬉しそうである。

「芸者ならことによると僕の知っている女かもしれない」
 自分は驚かされた。然し的きり冗談だろうと思った。けれども彼の眼はその反対を語っていた。その癖口元は笑っていた
(略)
「屹度あれだ。今に看護婦に名前を聞かして遣ろう」
 三沢はこう云って薄笑いをした

(「友達」十九)

そもそも、「あの女」が胃が悪いと知りながら、暴飲を強いたのも三沢である(ただしこれは三沢本人の弁を二郎が表現したものと思われ、正確性は二重に不明である)。

「君も飲むさ。飯は食えなくっても、酒なら飲めるだろう」
 彼は女を前に引きつけてむやみに盃をやった。女も素直にそれを受けた。しかししまいには堪忍してくれと云い出した。それでもじっと坐ったまま席を立たなかった。
「酒を呑んで胃病の虫を殺せば、飯なんかすぐ喰える。呑まなくっちゃ駄目だ」
 三沢は自暴に酔ったあげく、乱暴な言葉まで使って女に酒を強しいた。それでいて、己れの胃の中には、今にも爆発しそうな苦しい塊が、うねりを打っていた。

(「友達」二十一)

以上の描写からすると、三沢の入院には意図的なものがあることは、確実と思われる。

そして、特にこれといった事件が生じることもなく、三沢は急に退院を決める。

 すると三沢は「いや僕もそう愚図々々してはいられない。君の忠告に従って愈出る事にした」
(略)
自分はその突然なのに驚いた
「どうしてまたそう急に退院する気になったのか」
 自分はこう聞いて見ないではいられなかった。三沢は自分の問に答える前にじっと自分の顔を見た。自分はわが顔を通して、わが心を読まれるような気がした。
「別段これという訳もないが、もう出る方が好かろうと思って……」
 三沢はこれぎり何にも云わなかった。自分も黙っているよりほかに仕方がなかった。

(「友達」二十七~二十八)

後に三沢自身が語る退院理由は、精神病の「娘さん」の「三回忌」(死去から2年目の命日)に間に合わせるためという、病状とは無関係なものである。やはり、わざと入院を長引かせていたのだろう。

三沢の意図を邪推すれば、「あの女」が回復しそうであれば、それまで自身も入院を長引かせて、時期を合わせて退院し、また「あの女」を呼び出そう、そう考えていたのではないか。
しかし「あの女」は回復の見込みがなさそうであり、かつ「娘さん」の三回忌も近づいてきた。それで退院を決めたと。

1(2)1日のずれ - 三沢が「あの女」を探っていた?


しかし、三沢自身の入院が意図的に可能だったとしても、いくら酒を強要したところで、「あの女」が入院までするか否かは、あまりに不確実な要素だ。

しかし、三沢がそれを探っていたのではないか、そう思われる仕掛けが、組み込まれている。
二郎への葉書と、三沢の宿の下女の話が、一日ずれている。そのことがわざわざ明記されているのである。

まず、岡田宅に滞在中の二郎の元に届いた三沢からの手紙ではこうなっている。

三沢は三日前大阪に着いて二日ばかり寐た揚句とうとう病院に入ったのである。

(「友達」十二)

しかしこれが、三沢の泊まっていた宿の女の話では、一日異なる。

 自分は給仕の女に三沢の事を聞いて始めて知った。彼は二日此処に寐た揚句、三日目に入院したように記憶していたが実はもう一日前の午後に着いて、鞄を投げ込んだまま外出して、その晩の十時過ぎに始めて帰って来たのだそうである。

(「友達」十四)

単なる書き間違いか認識違いかもしれないわずか一日のずれを、あえてこうして明記している以上、そこになんらかの意味があるだろう。私はそう漱石作品を読み込みたい。

そうだとすれば、三沢は二郎に対してなにか秘密にしたい1日を、大阪で過ごしていたことになる。

それは、「あの女」の素性・病状を探っていたのではないだろうか。
実際、三沢は「あの女」の普段の仕事ぶりや口癖、芸者屋の下女との関係性を把握しているなど異様に詳しい。二郎を不審がらせている。

 三沢は「あの女」の事を自分の予想以上に詳しく知っていた
(略)
 三沢はすべてこういう内幕の出所をみんな彼の看護婦に帰して、ことごとく彼女から聞いた様に説明した。けれども自分は少し其処に疑わしい点を認めないでもなかった。自分は三沢が便所へ行った留守に、看護婦を捕まえて、「三沢はああ云ってるが、僕の居ないとき、あの女の室へ行って話でもするんじゃないか」と聞いて見た。看護婦は真面目な顔をして「そんな事ありゃしまへん」というような言葉で、一口に自分の疑いを否定した。
(略)
 看護婦はこれだけ語って、この位重い病人の室へ入って、誰が悠々と身上話などを聞いていられるものかという顔をした。自分も彼女の云う所が本当だと思った

(「友達」二十三)

ここで二郎が信用したのは、「三沢があの女の病室には行っていない」という事実である。
つまり、では何故三沢が異常にあの女について詳しいのか? この疑問は残ったままなのである。あえて漱石はそこにふれていない。これが「行人」もしくは漱石の手法であり、芥川龍之介に受け継がれている。

やはり、三沢が密かに「あの女」を探っていたのだ。


1(3)二郎の宿の隣室に「あの女」が


そして「あの女」と同じく芸者絡みで、気になる記述がある。
「あの女」が病院にくるのは「友達・十八」であるが、少し前の「十六」にも、「あの女」が実は出ていたのである。
元々三沢が泊まっていた宿の隣の部屋

 しかし宿へ帰ると、暑苦しい蚊帳の中で、早く涼しい田舎へ行きたいと思うことが多かった。この間の晩女と話をして人の眠を妨げた隣の客はまだ泊っていた。そうして自分の寝ようとする頃に必ず酒気を帯びて帰って来た。ある時は宿で酒を飲んで、芸者を呼べと怒鳴っていた。それを下女がさまざまにごまかそうとしてしまいには、あの女はあなたの前へ出ればこそ、あんな愛嬌をいうものの、蔭ではあなたの悪口ばかり並べるんだから止めろと忠告していた。すると客は、なにおれの前へ出た時だけ御世辞を云ってくれりゃそれで嬉しいんだ、蔭で何と云ったって聞えないから構わないと答えていた。ある時はこれも芸者が何か真面目な話を持ち込んで来たのを、今度は客の方でごまかそうとして、その芸者から他ひとの話を「じゃん、じゃか、じゃん」にしてしまうと云って怒られていた。
 自分はこんな事で安眠を妨害されて、実際迷惑を感じた。

(「友達」十六)

どうだろう、「あの女」が病院で物語に登場するよりも前に、ここで既に「あの女」とのフレーズが登場していたのである(本人の登場は書いたように「十八」)。

ちなみに、間違いなく例の入院中の芸者を指している「あの女」以外で、「あの女」とのフレーズが使われるのは、「行人」においてわずか2か所である。
一か所がこの引用の「友達・十六」である。
もう一か所はずっと後半、二郎が紹介される予定の女性について、「いっそ一思いにあの女の方から惚れ込んでくれたならなどと思っても見た。」(「塵労」二十三)とする場面である。

他に二か所のみで、うち一つは明らかに別人(ただこの「あの女」も三沢がらみという点は気になるが)である。
このことに鑑みれば上記の隣室の芸者の「あの女」は、やはり「あの女」であると考えるべきではないか。
この時点で「あの女」はまだ入院していないので、宿の男性客の部屋に来ていても矛盾はない。

そして、聞き取られた「あの女」のエピソードは二つ。

① 客の前では愛嬌をいうものの、蔭では悪口ばかり並べる

② あの女の側から真面目な話を持ち込んだが、客にごまかされた

①は、三沢も蔭では悪口を叩かれているということだろうか。
(あるいは、「あの女」によく似ているという「精神病の娘さん」も、蔭では三沢の悪口を言っているということか?→それで娘さんが両親に三沢の陰口→三回忌で娘さん両親が三沢に嫌味、との流れ?)

②は、「あの女」が入院を控え、入院費か家族の生活費の貸借を客に申し込んだが、客にごまかされた、ということだろうか。
あの女は借金をいろんな常連客に申し込んだが、すべて断られた。なので「旦那が付いていそうなものだがな」(「友達」二十四)と、それらしき見舞客が来ない、という流れか。

いまさらではあるがよく考えてみたら、「あの女」に三沢と二郎が勝手に注目して一方的に気にしているだけである。「あの女」側では単に少し前に無理に酒を飲まされた客の一人でしかない。

「あの女」は三沢との別れ際に、「御機嫌よう」と淋しい笑いを浮かべたと、三沢は語っている(「友達」三十一)。しかしこの時、三沢から大金を渡されたはずである(ただし明記はない)。そのことと比べたらむしろ素っ気ない態度を「あの女」はみせたといえないだろうか。


2 まとめ


ここまでの推察をまとめてみる。

・大阪で接客をした「あの女」に三沢が一方的に興味を抱き、「あの女」の様子や病状を探った(二郎には秘して)

・三沢は、遅かれ早かれ「あの女」が、「茶屋」で話していた病院に入院するだろうと予期した。それで自分も先に入院し、あの女を待っていた

・予想通りあの女は入院し、三沢は接触するタイミングを待っていた

・しかし、ある程度仮病で入院している自身と違い、あの女は本当に重症であるらしかった。この状態で普通に会っても、恨まれこそあれ、良い印象を与えるのは困難と思い、控えていた。

・やがて、「娘さん」の三回忌が近づき、仮病入院を続けられなくなった。
・そこで、二郎(その先の岡田)から金を借り、それを手土産として面会し、よい印象を与えようとした。

・そして「あの女」は、三沢が大金をくれたので、ただの一方的に好意を持つ男ではなく、「客」として扱い、客の前でだけは「愛嬌」を少し振りまいてくれた(蔭では悪口を言ってるかもしれない)

・三沢はそこそこ満足し、帰京した。

三沢と「あの女」との話は、男が金で美女の愛嬌を買ったという、実は救いのない話なのかもしれない。

すると、長野一郎は、直の実家が金持ち・本家筋(私の推察)なので、金で愛嬌を買う事すらできなかった、と。
それが「行人」なのか。





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