夏目漱石「行人」考察(26)お貞と長野父

1、長野父もお貞が(まあまあ)好き


前の記事でもふれたように、「行人」に出てくる長野家の下女・お貞を、長野一郎は気に入っているし、二郎もからかって楽しんでる。

それに加えて、長野父(下の名は明かされていない)も、お貞のことを気に入っている。
以下論拠を述べる。

1(1)長野父がすぐにお貞・一郎を理解する


ある秋の日の、長野家の夕食、二郎がお貞をからかい、それを一郎がわざわざ直と比較してお貞をかばった場面。長野父も一言発している。

-- お貞さんはその時みんなの後ろに坐って給仕をしていたが、急に黒塗の盆をおはちの上へ置いたなり席を立ってしまった。
 自分は彼女の後姿を見て笑い出した。兄は反対に苦い顔をした。
「二郎お前がむやみに調戯うからいけない。ああ云う乙女にはもう少しデリカシーの籠こもった言葉を使ってやらなくっては」
「二郎はまるで堂摺連(どうするれん)と同じ事だ」と父が笑うようなまた窘なめるような句調で云った。母だけは一人不思議な顔をしていた
「なに二郎がね。お貞さんの顔さえ見ればおめでとうだの嬉しい事がありそうだのって、いろいろの事を云うから、向うでも恥かしがるんです。今も二階で顔を赤くさせたばかりのところだもんだから、すぐ逃げ出したんです。お貞さんは生れつきからして直とはまるで違ってるんだから、こっちでもそのつもりで注意して取り扱ってやらないといけません……」
 兄の説明を聞いた母は始めてなるほどと云ったように苦笑した。

(「帰ってから」七)

「どうするれん」とは、「どうするどうする!」とはやし立てる野次馬根性の人間をさすらしい。ここで、お貞の行動を一郎から説明されないと理解できなかった長野母と、即座に理解し切っている長野父とが、対比されている。

一郎については、この直前に自室で二郎といた際にお貞が来、二郎がお貞をからかった直後なので(「帰ってから」六)、お貞の行動を理解できているのは当然である。

しかし、長野父は当然その場に臨席していない。
そうであるのに、お貞を「お気に入り」な長野母が理解できなかったお貞の行動と、それが二郎のからかいに起因するものであることを、長野父は、完全に把握し切っていたのである。

これは、夏目漱石が読者にわかるように、長野母と長野父とを、対比させたのだと思う。
しかも、長野母はお貞を「お気に入り」とわざわざ指摘されているのに(「兄」一)、その長野母よりも、長野父はお貞を正確に理解しているのである。


1(2)お貞の縁談を止めようとした長野父


お貞の縁談話が長野家に挙がった際、長野父は否定的な反応をしている。

お貞さんの結婚談が出た時にも「まずお重から片づけるのが順だろう」と云うのが父の意見であった。兄も多少はそれに同意であった。けれどもせっかく名ざしで申し込まれたお貞さんのために、沢山ない機会を逃すのはつまり両損になるという母の意見が実際上にもっともなので、理に明るい兄はすぐ折れてしまった。兄の見地に多少譲歩している父も無事に納得した

(「帰ってから」十)

これは一応、お貞云々ではなく、娘であるお重をまず嫁がせるべきなのに先に下女の縁談をまとめるのは順番違いだ、との素直な意見とも読める。

しかしここで、二点、気にかかる描写がある。

1、兄(一郎)はすぐに折れたのに、長野父はしばらく折れなかった
2、「兄の見地に多少譲歩している父も無事に納得した。」

どうだろう、長野父がしぶしぶで同意したことを、「譲歩」・「無事に」との表現で、あえて顕出させていないだろうか。

「お貞の結婚機会をわざわざ逃しても損」という長野母の論理は、普通に理解できる。だがそれを長野父は最後まで納得しなかったのである。
しかも一般に、男は理屈で、女は感情で動くものとされている。ところがこの場面では、長野母と一郎が論理で動き、それに長野父が感情でしばらく対抗し、しかし揉めるのもおかしいので納得はした、そう読めるように書かれている。

そして、お貞の結婚式が終わった後も、長野両親がそこまで強くお重の結婚相手を探しているとも、書かれていない。

それも含めて考えれば、やはり長野父はお重の結婚が順だ云々よりも、お貞の結婚を、あまり勧めたくはなかったのだ。


2、お貞もある程度長野父と仲が良い


本筋とは無関係と思われるエピソードが、二郎らが大阪から帰った後に書かれている。

 自分達が大阪から帰ったとき朝貌はまだ咲いていた。しかし父の興味はもう朝貌を離れていた。
「どうしました。例の変り種は」と自分が聞いて見ると、父は苦笑いをして「実は朝貌もあまり思わしくないから、来年からはもう止めだ」と答えた。自分はおおかた父の誇りとして我々に見せた妙な花や葉が、おそらくその道の人から鑑定すると、成っていなかったんだろうと判断して、茶の間で大きな声を立てて笑った。すると例のお重とお貞さんが父を弁護した
「そうじゃ無いのよ。あんまり手数がかかるんで、御父さんも根気が尽きちまったのよ。それでも御父さんだからあれだけにできたんですって、皆な賞めていらしったわ」
 母と嫂は自分の顔を見て、さも自分の無識を嘲けるように笑い出した。すると傍にいた小さな芳江までが嫂と同じように意味のある笑い方をした。

(「帰ってから」四)

二郎が例によって知ったかぶりをしたところを、お重とお貞との二人で、訂正している。
ここで「そうじゃないのよ。~」と具体的な台詞を発しているのは、お重のみである。
しかし、下女であるお貞が、ここではあえて二郎に異論を挟んだことが、かすかにであるが示されている。

二郎の知ったかぶりを正すだけであれば、妹であるお重にまかせておき、お貞は静観していてもよさそうである。
しかしこの箇所では、お貞も積極的に、二郎に異論を挟んだと示されている。

これはつまり、お貞が長野父と(ある程度)仲が良いので、あえて積極的にかばった。そう解釈できないだろうか。


3、お貞の結婚式が質素だと強調


お貞と佐野との結婚式は、長野家がすべて取り仕切って行われている。

私には何故すべて長野家がしてあげているのかよくわからないのだが、どうも当時にはそういったことがあったらしい。他の漱石作品でも「明暗」で、主人公の叔父である藤井家が特に金持ちでもないのに、同家の下女であるお金(きん)さんの夫探しや、結婚にかかる各費用の出費で苦心する描写がある。
(しかしだとしても、結婚式に、お貞も佐野も、親兄弟が来たような描写が全くない(「親類」がいるという描写のみある)のは疑問ではあるが、、)

しかしその挙式準備がどうも、
・綱(長野母)が担当した準備 - 質素にされている
・長野父が担当した準備 - そこそこお金をかけてある
とも読めるのである。

3(1)お綱(長野母)の準備


芳江が「叔父さんちょっといらっしゃい」と次の間から小さな手を出して自分を招いた。「何だい」と立って行くと彼女はどこからか、大きな信玄袋を引摺り出して、「これお貞さんのよ、見せたげましょうか」と自慢らしく自分を見た。
(略)
 --最後に彼女は櫛と笄を示して、「これ卵甲よ。本当の鼈甲(べっこう)じゃないんだって。本当の鼈甲は高過ぎるからおやめにしたんですって」と説明した。自分には卵甲という言葉が解らなかった。芳江には無論解らなかった。けれども女の子だけあって、「これ一番安いのよ。四方張りよか安いのよ。玉子の白味で貼り付けるんだから」と云った。「玉子の白味でどこをどう貼り付けるんだい」と聞くと、彼女は、「そんな事知らないわ」と取り済ました口の利きき方かたをして、さっさと信玄袋を引き摺ずって次の間へ行ってしまった。
 自分は母からお貞さんの当日着る着物を見せて貰った。薄紫がかった御納戸の縮緬で、紋は蔦、裾の模様は竹であった。
「これじゃあまり閑静過ぎやしませんか、年に合わして」と自分は母に聞いて見た。母は「でもねあんまり高くなるから」と答えた。そうして「これでも御前二十五円かかったんだよ」とつけ加えて、無知識な自分を驚かした。地は去年の春京都の織屋が背負って来た時、白のまま三反ばかり用意に買っておいて、この間まで箪笥の抽出しにしまったなり放ってあったのだそうである。

(「帰ってから」三十四)


上記引用のように、女性側・お綱の仕度は簡素にしたものだと示されている。
また引用前半の芳江の発言は、芳江に「鼈甲」と「卵甲」との区別やその価格の高低がわかるはずはないので、直が芳江にわざわざ教えていたものだと思われる(直による長野母もしくはお貞への嫌味か?)。

3(2)長野父の準備


これに対して長野父は、それなりにお金を遣い、お貞への気遣いを示していると読める。

いよいよ出る時に、父は一番綺麗な俥を択って、お貞さんを乗せてやった。

(「帰ってから」三十五)

また、式の現場における仲人役を、岡田ではなく急遽、一郎夫妻が務めている。

 -- 肝腎の仲人たるべき岡田はお兼さんを連れて来なかったので、「じゃはなはだ御迷惑だけど、一郎さんとお直さんに引き受けていただきましょうか、この場限り」と岡田が父に相談した。父は簡単に「好かろうよ」と答えた。嫂は例のごとく「どうでも」と云った。兄も「どうでも」と云ったが、後から、「しかし僕らのような夫婦が媒妁人になっちゃ、少し御両人のために悪いだろう」と付け足した。
「悪いなんて――僕がするより名誉でさあね。ねえ二郎さん」と岡田が例のごとく軽い調子で云った。兄は何やらその理由を述べたいらしい気色を見せたが、すぐ考え直したと見えて、「じゃ生れて初めての大役を引き受けて見るかな。しかし何にも知らないんだから」と云うと、「何向うで何もかも教えてくれるから世話はない。お前達は何もしないで済むようにちゃんと拵えてあるんだ」と父が説明した

(「帰ってから」三十五)

私はこの時、岡田が仲人役でありながら妻のお兼を連れて来なかったのは、お兼がこれからもしくは今後も、佐野と不貞する予定だから気まずかった、と解釈した。

それと両立し得る解釈として、これは長野父が、嫁いでいくお貞への、はなむけをしたのでは、とも思った。
岡田・お兼夫妻がするよりも、長野家の長男夫妻である一郎夫妻がするほうが、「名誉」であるだろう。

仲良さげにしてはいるが、長野家からすれば岡田・お兼夫妻は、
下卑た家庭に育った」、自分達よりも下の「階級に属する」、「岡田なんぞから」金を借りる義理はない、「たかが将棋の駒」な人間なのである。

そして、上記のように岡田は、「将棋の駒」である。
これは外見だけではなく、主人である長野家の、思うがままに動く駒だとの意味だ、と私は解釈している。

そんな将棋の駒が、今回は長野父の思うとおりに動き、お兼を連れては来なかった。
お貞の媒酌人を、一郎夫妻に務めさせる名誉のために。

急に当日変更したように見えて、実は元々そのつもりで、長野父も岡田も考えていたらしきことも、示されている(すぐに長野父に一郎夫妻にしてもらうよう相談した岡田、「お前達は何もしないで済むようにちゃんと拵えてあるんだ」とあっさり言い切る長野父)。


ここまで来て急にふと思ったのだが、

「お貞は、長野父・一郎・二郎、この3人全員と、関係を持った」

この解釈も成り立たないだろうか。
また「行人」を、読み直してみたい。





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