夏目漱石「行人」考察(25)お貞は何者?

夏目漱石「行人」に出て来る長野家の下女・お貞。

「行人」は、主人公長野二郎が、お貞の結婚相手の見定め(と三沢との旅行先待ち合わせ)のために、大阪・梅田駅に下り立つ場面から始まる。

そして「行人」において、登場人物の「台詞」として最後に出て来るのは、Hの手紙における、長野一郎のお貞に関する言葉である。

「僕はお貞さんが幸福に生れた人だと云った。けれども僕がお貞さんのために幸福になれるとは云やしない」
(略)
「嫁に行く前のお貞さんと、嫁に行ったあとのお貞さんとはまるで違っている。今のお貞さんはもう夫のためにスポイルされてしまっている」
「いったいどんな人のところへ嫁に行ったのかね」と私が途中で聞きました。
「どんな人のところへ行こうと、嫁に行けば、女は夫のために邪になるのだ。そういう僕がすでに僕の妻をどのくらい悪くしたか分らない。自分が悪くした妻から、幸福を求めるのは押しが強過ぎるじゃないか。幸福は嫁に行って天真を損われた女からは要求できるものじゃないよ」
 兄さんはそういうや否や、茶碗を取り上げて、むしゃむしゃてこ盛の飯を平らげました。

(「塵労」五十一)

(※ 著作権切れにより引用自由です。)

ちなみに「行人」は、「塵労」の第五十二章をもって終わる。ここで引用したのは「五十一」章なので、小説の最終盤、手持ちの文庫本で全465頁中の462頁である。

実は「行人」は、お貞に始まりお貞に終わった話なのである。


1、お貞の台詞は3つ


しかしお貞は、登場人物として影は薄い。
なんせ、作中でお貞が直接発した台詞は、わずか3回なのだ。しかもすべて一言である。

「まあ非道い事を仰しゃる事、随分ね」
(→ 二郎に。「帰ってから」十一)
「今一寸御書斎まで参らなければなりませんから、いずれ後程」
(→ 岡田に。「帰ってから」三十四)
「あら其処へ障っちゃ厭ですよ」
(→ 芳江に。「帰ってから」三十五)

たったこれだけなのである。
もし「行人」をアニメ化するなら、お貞の声優は他の人物と一人二役にしたほうが効率よさそうだ。


2、お貞が「厄介もの」とは?


以下はお貞に対する批評の描写を並べてみる。

お貞さんは器量から云っても教育から云っても、これという特色のない女である。ただ自分の家の厄介ものという名があるだけである。
(略)
「どうしてお貞さんが、そんなに気に入ったものかな。まだ会った事もないのに」
「佐野さんはああいうしっかりした方だから、やっぱり辛抱人を御貰いになる御考えなんですよ」
 お兼さんは岡田の方を向いて、佐野の態度をこう弁解した。岡田はすぐ、「そうさ」と答えた。

(「友達」七)

お貞さんは宅の厄介ものだから、一日も早くどこかへ嫁に世話をするというのが彼の主意であった。自分は家族の一人として岡田の好意を謝すべき地位にあった。
「お宅じゃ早くお貞さんを片づけたいんでしょう」
 自分の父も母も実際そう
なのである。

(「友達」十一)

お兼さんの「あの事」というのは例の結婚事件である。自分はいくらお貞さださんが母のお気に入りだって、そのために彼女がわざわざ大阪三界まで出て来るはずがないと思った。

(「兄」一)

兄はそれを見て、「お貞さん余計な事を話して御気の毒だったね。今のは冗談だよ。二郎のような向う見ずに云って聞かせる事を、ついお貞さん見たいな優しい娘さんに云っちまったんだ。全くの間違だ。勘弁してくれたまえ。今夜は御馳走があるかね。二郎それじゃ御膳を食べに行こう」と云った。

(「帰ってから」六)

自分は彼女の後姿を見て笑い出した。兄は反対に苦い顔をした。
「二郎お前がむやみに調戯うからいけない。ああ云う乙女(おぼこ)にはもう少しデリカシーの籠った言葉を使ってやらなくっては」
「二郎はまるで堂摺連と同じ事だ」と父が笑うようなまた窘なめるような句調で云った。母だけは一人不思議な顔をしていた。
「なに二郎がね。お貞さんの顔さえ見ればおめでとうだの嬉しい事がありそうだのって、いろいろの事を云うから、向うでも恥かしがるんです。今も二階で顔を赤くさせたばかりのところだもんだから、すぐ逃げ出したんです。お貞さんは生れつきからして直とはまるで違ってるんだから、こっちでもそのつもりで注意して取り扱ってやらないといけません……」

(「帰ってから」七)

反対に、お貞さんの方の結婚はいよいよ事実となって現あらわるべく、目前に近ちかづいて来た。お貞さんは相応の年をしている癖に、宅中で一番初心(うぶ)な女であった。これという特色はないが、何を云っても、じき顔を赤くするところに変な愛嬌があった。 

(「帰ってから」三十三)

芳江が「あのお貞さんは手へも白粉を塗つけたのよ」と大勢に吹聴していた。実を云うと、お貞さんは顔よりも手足の方が赤黒かったのである。

(「帰ってから」三十五)

自分の見たところでは、お貞さんが宅中で一番の呑気ものらしかった。彼女は永年世話になった自分の家に、朝夕箒を執とったり、洗い洒ぎをしたりして、下女だか仲働だか分らない地位に甘んじた十年の後、別に不平な顔もせず佐野といっしょに雨の汽車で東京を離れてしまった。彼女の腹の中も日常彼女の繰り返しつつ慣れ抜いた仕事のごとく明瞭でかつ器械的なものであったらしい。一家団欒の時季とも見るべき例の晩餐の食卓が、一時重苦しい灰色の空気で鎖された折でさえ、お貞さんだけはその中に坐って、平生と何の変りもなく、給仕の盆を膝の上に載せたまま平気で控えていた

(「帰ってから」三十七)

兄さんはお貞さんを宅中で一番慾の寡ない善良な人間だと云うのです。ああ云うのが幸福に生れて来た人間だと云って羨ましがるのです。自分もああなりたいと云うのです。お貞さんを知らない私は、何とも評しようがありませんから、ただそうかそうかと答えておきました。すると兄さんが「お貞さんは君を女にしたようなものだ」と云って砂の上へ立ちどまりました。

(「塵労」四十九)



多数列挙してみたが、どうもお貞のどこが「厄介もの」であるのかは不明である。
むしろ、「母のお気に入り」との叙述すらある。

さらに、二郎もお貞には好印象をもっており、からかうのを楽しんでいる。一郎に至っては明らかにお気に入りである。長野父も同じか?

どうも長野家として、遅かれ早かれお貞を嫁がせる責務を負っているらしいが、それだけであれば単に手間と金銭的負担であろう。「厄介もの」と連呼されるには不十分な要素だ。

(しかし、お貞の台詞はたった3か所の短文しか存しないにもかかわらず、お貞に関する批評はこれほど多数あるのか。少し気になる)

2(1)誰かの愛人?


この「厄介もの」について私は、「お貞は長野家の誰かと性的関係になった」ので、そう呼ばれているのかと思った。
相手は長野父か一郎、あるいは二郎かなと。大阪旅行に「腹が悪くなって」同行しなかったのは、妊娠し堕胎手術をしていたのかと。また和歌山で二郎と二人きりになった際に直が、「妾ゃ本当に腑抜けなのよ。ことに近頃は魂の抜殻になっちまったんだから」(「兄」三十一)とは一郎とお貞とに関係がありそれを知ってしまったのかなと。

ただそれだと、大阪の岡田までもがお貞を「厄介もの」と認識していることとは不整合となる。
また長野母(綱)・直・お重ら他の女性家族の面前で、二郎がお貞をからかったり、一郎が露骨にお貞をかばうこととも整合しない(長野父はあり得るか? お貞の縁談にもあまり乗り気でなかったし、大阪旅行にも同行しなかった)。

2(2)男性陣に人気だから?


上と重なるが、性的関係まではないとしても、一郎・二郎・(おそらく)長野父といった長野家男性陣全員に、お貞は好かれている。
それが、なんらかの不和を、長野家にもたらしてしまったのではないだろうか。

上の直の、「腑抜け・近頃魂の抜殻になった」も、夫婦喧嘩の際に、「お前なんかよりお貞さんのほうがいい女だ」とか言われたと考えてみても成立し得る。
また上記「帰ってから・七」で、一郎からお貞と比較されて揶揄された直が、すぐに「無言のまますっと立っ」てその場を去っている。
これも、以前にも一郎にお貞と比較された事があり、一郎がお貞をお気に入りだと知っているので、揶揄に驚くこともなく、すぐに冷徹に反応したとも思われる。


2(3)お貞の容姿は「特色なし」・「赤黒い」


お貞の容姿についてであるが、先の引用のように、
・「器量これという特色のない女」(「友達」七)
・「顔よりも手足の方が赤黒かった」(「兄」三十五)
とされている。

後者では、「お貞は顔も赤黒い」ことが、間接的に示されている。


これに対し、他の女性登場人物の容姿についての、長野二郎評は

お兼
・「器量はそれほどでもないが、色の白い、皮膚の滑らかな、遠見の大変好い女であった。」
(「友達」二)

芸者の「あの女」
・「自分は階段を上りつつ、「あの女」の忍耐と、美しい容貌の下に包んでいる病苦とを想像した。」
(「友達」十八)

看護婦(2人)
・「看護婦としては特別器量が好い」←→「醜い三沢の付添い」
(「友達」)

精神病の「娘さん」
・「その娘さんは蒼い色の美人だった。そうして黒い眉毛と黒い大きな眸をもっていた。その黒い眸は始終遠くの方の夢を眺めているように恍惚と潤って、そこに何だか便りのなさそうな憐を漂よわせていた。
(「友達」三十三)


・「お重の顔は誰が見ても、まあ十人並以上だろうと、仲の善くない自分にも思えたが、」
(「兄」三十三)

三沢が二郎に紹介するかもしれない女性
・「彼女は自分の視線を引着けるに足るほどな好い器量をもっていたのである。」
(「塵労」二十)



・「彼女は淋しい色沢の頬をもっていた。それからその真中に淋しい片靨をもっていた」
(「兄」六)
・「白い指を火鉢の上に翳かざした。彼女はその姿から想像される通り手爪先の尋常な女であった。彼女の持って生れた道具のうちで、初めから自分の注意を惹いたものは、華奢に出来上ったその手と足であった」
ジョコンダに似た怪しい微笑の前に立ち竦まざるを得なかった。」
(「塵労」二)
・「自分は彼女の富士額をこれほど近くかつ長く見つめた事はなかった。自分は彼女の蒼白い頬の色をほのおのごとく眩しく思った。」
(「塵労」四)

※ お貞の「赤黒い」と
は逆に「白い指」と。

※ しかし、「行人」を私がはじめてななめ読みしてから、既に十年以上経過しているのだが、今更ながら気づいた。

どこにも直が「美人」だとする描写は、ない。

勝手にかなりの美人を、ずっとイメージしてしまっていた。
ちなみに「ジョコンダ」とは「モナリザ」のことで、モデル女性の姓らしい。

直はいわゆる「美人」とは違うが、男から見て怪しげな魅力がある女性ということだろうか。
それとも、二郎が勝手に魅力を感じているだけだろうか。



-- 話をお貞に戻すが、顔も容姿全体も特によいわけではなさそうだ。
しかし、そんなお貞が、長野家男性陣からは人気であると。特に一郎からは。

むしろそこが余計に、直には気に入らなかったのではないか。
それで、「厄介もの」と。

また逆に、お綱がお貞を「お気に入り」だったり、お重がお貞と仲良さげだったりするのは、お貞が特に美人でも可愛くもなく、かつ、自分達から見て下の身分だから、対立の必要がなかったからだろうか。

二郎が病院で、「あの女」とその「美しい看護婦」についてふれた、
・「器量好しが二人寄って、我知らず互に嫉み(にくみ)合うのだろうと」(「友達」二十五)
この対立の心配はなかった。

しかし、違う対立が、直とお貞にはあったと。

それが「厄介もの」であり、
だからこそ、
長野家の「将棋の駒」岡田は、お貞の嫁ぎ先を見つけて来たと。

(お貞の話続けます。)

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