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夏目漱石「行人」考察(13) お兼は今も佐野と関係している?

1、佐野の結婚式にあえて? ついてこないお兼


「行人」後半で佐野とお貞との結婚式が行われる(「兄」三十三~三十六)。

(しかし、何故長野家が式を執り行っていて、お貞や佐野の身内は一切出てこないのか?? またどこかでふれたい)

この挙式に、大阪から岡田のみが来て、お兼はついてこない。
これについての二郎と岡田との会話

「岡田さんは実に呑気だね」と云った。
「何故です」
 彼は自ら媒酌人をもって任じながら、その細君を連れて来ない不注意に少しも気が付いていないらしかった。自分から呑気の訳を聞いた時、彼は苦笑して頭を掻きながら、「実は伴れて来ようと思ったんですがね、まあどうかなるだろうと思って・・・・・・」と答えた。

(「兄」三十六) 
(※ 著作権切れにより引用自由です。)

ここで語り手・二郎は「呑気不注意」との単語で、あたかも岡田の度忘れかのように描いている。
しかし、ここも逆に不自然だ。

結婚式の媒酌人として、しかも新郎とともに大阪から上京する者が、うっかりミスで妻を連れて来ないなどというのは、あり得るのだろうか。
(まあ私は自分の結婚式で仲人を立てなかったのでよくわからないのですが。)

実際岡田は、二郎の「呑気だね」との意味がわからなかった。
かつ、二郎の指摘に対して、「実は伴れて来ようと思ったんですがね、まあどうかなるだろうと思って・・・・・・」と答えている。
うっかりミスではなく、なにかを迷ったのだが、なにかを判断してあえて連れて来なかった、もしくはお兼が拒否した、と読める。

そして、この会話のズレに、語り手である二郎はなにもつっこまない。追及もせずに場面は切り替わる。
また、既に指摘したように、二郎の大阪旅行時にお兼が妙に佐野の縁談をまとめたがっており、またお兼と佐野が仲良さげであった。しかしこれを二郎はこの式の場では想起しない。


語り手・二郎が「呑気」とわざわざ言明することによって、逆にこれは呑気などではなく、明示されないなんらかの事情があったことを示している。そう思った。
そしてその事情を、私はこう思った。

・佐野の事がまだ?好きなお兼は、佐野とお貞との婚姻を強く勧めた。何故なら自分たち夫婦が仲人の立場になれば、結婚後も堂々と佐野と交流を続けられるから
・特にお貞にしてみれば夫とはそれまで面識なし。嫁ぐ大阪の地に知り合いは岡田夫妻のみと思われる。いやでも岡田夫妻と佐野夫妻とで交流はもたれるであろう
・ただお兼もさすがに結婚式には顔を出したくない。またさすがに結婚式で媒酌人までするのはこれから(も?)不倫をする・しようとする者として気が引ける。
だからあえて同行を断った、と。

(別の可能性として、お兼と長野父とがどうしても顔を合わせたくない? 会いたくない事情? それで大阪旅行にも長野父は来なかった? あるいはお兼と芳江がどうしても会わせられない?)


2、岡田夫妻と佐野は現在も交流あり


そして、私の推測ではお兼が狙ったとおり、佐野が婚姻した以降も大阪で佐野とお兼との交流は続いている。

 下宿に帰ったら、大阪の岡田から来た一枚の絵端書が机の上に載せてあった。それは彼等夫婦が佐野とお貞さんを誘って、楽しい半日を郊外に暮らした記念であった。自分は机に向って長い間その絵端書を見詰めていた。(「塵労」六)

―― 大阪の岡田からは花の盛りに絵端書が又一枚来た。前と同じようにお貞さんやお兼さんの署名があった。
(「塵労」十七)

これらのように、もはやストーリーからは退場したお貞や岡田夫妻について、わざわざかすかに描写がされている。それも岡田夫妻と佐野夫妻とのセットとして。

お兼は大阪で、二郎に対してみせたのと同じように、「玄人じみた媚」と「愛嬌」を、佐野に振りまいているのだ。多分。


3、岡田とお兼はセックスレス?


「行人」序盤で、例によって含みをもたせながら結局種明かしがない描写がお兼についてもある。

 ――「奥さんは何故子供が出来ないんでしょう」と聞いた。するとお兼さんは急に赤い顔をした。自分はただ心易だてで云ったことが、甚だ面白くない結果を引き起したのを後悔した。けれどもどうする訳にも行かなかった。その時はただお兼さんに気の毒をしたという心だけで、お兼さんの赤くなった意味を知ろうなどとは夢にも思わなかった。

(「友達」六)

単にたまたま子供ができないのではなく、「赤い顔をした」意味があると示されているのである。かつ、その意味は明示できないと。

私はこの子ができない事情について当初、不義密通で妊娠し(相手は一郎もしくは長野父?)、その子を堕胎し、以降妊娠が困難になったーと想像していた。
しかしそれならば顔色は赤ではなく、青ざめた、となるべきであろう。

「行人」で、登場人物が顔を赤くするのは他にこれらの場面だ。

・二郎が三沢の病室から「あの女」を探して窓から外を見続けた場面
 ―― 彼は自分の顔を見て、「どうも強情な男だな、他が親切に云って遣れば遣る程、わざわざ日の当る所に顔を曝しているんだから。君の顔は真っ赤だよ」と注意した。
(「友達」十九)

・和歌山で一郎が二郎に疑いをかけた場面
「直は御前に惚てるんじゃないか」

(略)
「だって御前の顔は赤いじゃないか」
 実際その時の自分の顔は赤かったかも知れない。兄の面色の蒼いのに反して、自分は我知らず、両方の頬の熱るのを強く感じた。

(略)
「ただ御前の顔が少しばかり赤くなったからと云って、御前の言葉を疑ぐるなんて、まことに御前の人格に対して済まない事だ。どうぞ堪忍して呉れ」
(「兄」十八~十九)

・二郎が縁談の決まったお貞をからかった場面
「お貞さん何が嬉しいんですか」と自分は面白半分追窮するように聞いた。お貞さんは手を突いたなり耳まで赤くなった。兄は籐椅子の上からお貞さんを見て、「お貞さん、結婚の話で顔を赤くするうちが女の花だよ。行って見るとね、結婚は顔を赤くする程嬉しいものでもなければ、恥ずかしいものでもないよ。」
(「帰ってから」六)

これらの使用例からすると、顔が赤くなるのはなんらかの、恥ずかしい事情・秘密にしておきたい事情が存する場合、といえそうだ。

そうであるとしたら、「友達・六」で子ができない理由を聞かれてお兼が顔を赤くした事情とは、

・お兼は岡田とはセックスレスになっている。レスになった理由の一つは、お兼が佐野を(そこそこ?)好きになったから

これだと。

「お兼」とは、岡田の妻と佐野の愛人を兼ねているのだ。


4、追記「偽物」

思いついた追記。

・お兼と岡田との結婚は、長野両親が斡旋している。

・岡田の結婚当時、長野父は新居に飾るための「軸物」(掛け軸としの書画?)を岡田にくれた

・その軸物について、当時の二郎と岡田とのやり取り

―― その時自分は「岡田君その呉春は偽物だよ。それだからあの親父が君に呉れたんだ」と云って調戯半分岡田を怒らした事を覚えていた。
(「友達」二)

お兼が「偽物」だから、長野父は岡田と結婚させたと?


5、追記(2)お兼は薄毛フェチ?

お兼が岡田の妻と佐野の愛人を兼ねているとするもう一つの根拠。

・お兼はハゲ男が好きである。

お兼と岡田とは、長野両親の斡旋で結婚しているが、元々恋愛結婚の要素もあるように示されている。

 ―― 岡田は母の遠縁に当る男だけれども、自分の宅では書生同様にしていたから、下女達は自分や自分の兄には遠慮して云い兼ねる事までも、岡田に対してはつけつけと云って退けた。「岡田さんお兼さんが宜しく」などという言葉は、自分も時々耳にした。けれども岡田は一向に気にも留めない様子だったから、大方ただの徒事だろうと思っていた。

(「友達」二)

そして、岡田はハゲている。
佐野もハゲている。

 ―― 岡田が居なくなったのは、ついこの間の様でも、もう五六年になる。彼の気にしていた頭も、この頃では大分危険に逼っているだろうと思って、その地の透いて見える所を想像したりなどした。
 岡田の髪の毛は想像した通り薄くなっていたが、住居は思ったよりも薩張した新しい普請であった。

(「友達」一)

 佐野は写真で見たよりも一層御凸額であった。けれども額の広い所へ、夏だから髪を短く刈っているので、ことにそう見えたかも知れない。
(「友達」九)

 「ではあのお凸額さんは止て置こう」
 自分はこう云って、みんなを笑わせた。自分が疾うから佐野の御凸額を気にしていた如く、外のものも同じ人の同じ特色を注意していたらしかった。
「写真で見たより御凸額ね」と嫂は真面目な顔で云った。

(「兄」四十一)

「行人」冒頭の一章を含め、岡田と佐野がともにハゲていることが強調されている。
特に岡田は結婚以前の五六年まえからである。

やはりお兼はハゲフェチ = 佐野のことも好きなのであろう、たぶん。

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