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夏目漱石「行人」考察(42)直は二郎と再婚?


1、手法は「坊っちゃん」「こころ」と同じ



夏目漱石の大正元年(1912年)連載開始の小説「行人」。

この小説の語り手:長野二郎はリアルタイムでの感想を述べているのではなく、物語記載の出来事がすべて終わり、そこから数か月~数年経過した後の述懐であることは、何度か述べた。
かつ、その回想は第三者に公開もしくは他者に見せる前提で記されていることや、二郎は「信頼できない語り手」であることも述べた。

これは漱石の他作品であれば、「こころ」の、「上 先生と私」、「中 両親と私」と同じ手法である。「こころ」の冒頭

 私はその人を常に先生と呼んでいた。だから此所でもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚る遠慮というよりも、その方が私に取って自然だからである。

(「こころ」上 先生と私「一」)

(※ 漱石作品は著作権切れにより引用自由です。)

世間を憚る遠慮」との記載から、これが世間の第三者・読者を想定して書かれたものであるとわかる。

また私見では「坊っちゃん」も同じ構造である。有名な末尾

だから清の墓は小日向養源寺にある。

(「坊っちゃん」十一)

坊っちゃんは自身の生家すら具体的地名は書かず、四国の赴任先もどの県かもふれない。ついでに兄の勤務先も「九州」とのみ記している。
(そう考えるとうらなりの転任先が「延岡」と妙に具体的なのは意味があるのだろうか)
そんな坊っちゃんが、わざわざ清の墓については「具体的地名」+「具体的寺院名」と丁寧に記しているのだ。

これは単に小説の末尾として余韻を残すためだけではない。「坊っちゃん」を読んでいる人に、おれの亡骸はここに埋めてくれと、清の墓もここだぞと、ちゃんと清の遺言が実現するように一緒にしてくれと、そう坊っちゃんが依頼したもの。私はそう思っている。

2、直への欲情


「行人」に戻すが、この小説を長野二郎が他者に見せる前提で書いたものとらえた時、少し気になる点がある。
それは「兄嫁である直への二郎の欲情が何度も書かれている」ことだ。

2(1)頬を撫でたい

和歌山で直と二人で料理屋に入った際

「姉さんは自分の年にさえ冷淡なんですね」
 自分はこんな皮肉を何となく云った。然し云ったときの浮気な心にすぐ気がつくと急に兄に済まない恐ろしさに襲われた。
(略)
若輩な自分は嫂の涙を眼の前に見て、何となく可憐に堪えないような気がした。外の場合なら彼女の手を取って共に泣いて遣りたかった。
(略)
見ると彼女の眼を拭っていた小形の手帛が、皺だらけになって濡れていた。自分は乾いている自分ので彼女の眼や頬を撫でてやるために、彼女の顔に手を出したくて堪らなかった

(「兄」三十一~三十二)

この料理屋の時点で「さわりたい」との欲求をほぼダイレクトに書いている。

2(2)身体をまさぐりたい

さらに宿に移り、急に停電した暗闇の中

下女が心得て立て行ったかと思うと、宅中の電燈がぱたりと消えた。黒い柱と煤けた天井でたださえ陰気な部屋が、今度は真暗になった。自分は鼻の先に坐っている嫂を嗅げば嗅がれるような気がした。
(略)
「居るんですか」
「居るわ貴方。人間ですもの。嘘だと思うなら此処へ来て手で障って御覧なさい」
 自分は手捜に捜り寄って見たい気がした。けれどもそれ程の度胸がなかった。そのうち彼女の坐っている見当で女帯の擦れる音がした。

(「兄」三十五)

料理屋に比べると、触覚だけでなく嗅覚でも直を感じたがっていることが示されている。
さらに「さわりたい」欲求の対象部位やさわり方も、料理屋では直の「」や「」を「撫で」たいとあったものが、ここでは明示こそないものの直の身体をつかまえてずり寄せたいように書いてある。しかも暗闇の中でだ。改めて見ると見事な変化の描写である。

2(3)第一印象は「足」です

話はぐっと後半に移って「塵労」序章、直が急に二郎の下宿に来た夜

 彼女は自分の云う通りに蒲団の上に坐った。そうして白い指を火鉢の上に翳した。彼女はその姿から想像される通り手爪先の尋常な女であった。彼女の持って生れた道具のうちで、初から自分の注意を惹いたものは、華奢に出来上ったその手と足とであった。

(「塵労」二)

ここも見事だ。「白い指」「手爪先」「華奢」と書いて読者に直の奇麗な指を想像させているところに、文の末尾で「足もだよ」といきなり異なる画像をくらわしている。指先に目が行くのはまだわかるが、足に注目していました、となるとぐっと性的目線の感が強まる。

しかも直と出会った当初から、手と「」に注目していたというのである。このことを終盤(全465頁中の328頁)まで隠しておいてここで出すところが、「信頼できない語り手」二郎の面目躍如である。しかもそれを堂々と記している。


2(4)ぽたりぽたりと劇しく

そして直が帰った後、二郎はその記憶をひたすら頭の中で繰り返し、雨だれを落とす。

 その晩は静かな雨が夜通し降った。枕を叩くような雨滴の音の中に、自分は何時までも嫂の幻影を描いた。濃い眉とそれから濃い眸子、それが眼に浮ぶと、蒼白い額や頬は、磁石に吸い付けられる鉄片の速度で、すぐその周囲に反映した。彼女の幻影は何遍も打ち崩された。打ち崩される度に復同じ順序がすぐ繰返された。自分は遂に彼女の唇の色まで鮮かに見た。その唇の両端にあたる筋肉が声に出ない言葉の符号の如く微かに顫動するのを見た。それから、肉眼の注意を逃れようとする微細の渦が、靨に寄ろうか崩れようかと迷う姿で、間断なく波を打つ彼女の頬をありありと見た。
 自分はそれ位活きた彼女をそれ位劇しく想像した。そうして雨滴の音のぽたりぽたりと響く中に、取り留めもない色々な事を考えて、火照った頭を悩まし始めた。
(略)
 自分の想像と記憶は、ぽたりぽたりと垂れる雨滴の拍子のうちに、それからそれからと留度もなく深更まで廻転した。

(「塵労」五)

ここで「雨滴」が三回も繰り返される。うち二回は「ぽたりぽたり」だ。しつこいぐらいである。ここの描写と、入院中の「あの女」の滋養浣腸の描写と、一郎が妻と弟とを二人で宿泊させようした描写を切り取ったら作者は夏目漱石ではなく谷崎潤一郎のほうが似合いそうだ。


3、何故直への欲情を描写できたか


3(1)再婚

上記のような直に対する欲情を、「行人」において二郎は何故堂々と描写することができたのか。

私の推察では、一郎や長野両親は物語執筆時において既にこの世を去っている。だがおそらくお重や直は生きていると思われる。また三沢や岡田夫妻もいるだろう。
彼らに対して「俺は嫂をさわりたいと思ってました。そもそも初対面から嫂のに注目してました」旨をあえて公開することは、通常は避けたいと思われる。

しかし二郎は公開している。それが可能となった理由は、以下になるはずだ。

・二郎と直が再婚している、もしくは公然の恋愛関係になっている

この事実があれば、直への昔からの欲情を二郎が公開していたとしても、特段問題はないであろう。まあ気持ち悪いと思われるかもしれないが。

もう一つの可能性として「直も既にこの世にいない」とも考えた。しかしそうだとしても二郎としてはお重や三沢の手前、公表は憚られるのではないか。

実際三沢は、四五年前から同居し二年前に既に死去している「精神病の娘さん」について、少なくとも二郎には秘密にしていた。一郎も三沢に無断で二郎に話すべきではないと思ったのか、一郎からも二郎にはふれなかった。


3(2)お重は存命

この「直と二郎は再婚したから公表できる」との勝手な推測をほんの少しだけ補強してくれる要素として、お重がほぼ間違いなく存命ということがある。

 自分は今でも雨に叩かれたようなお重の仏頂面を覚えている。お重は又石鹸を溶いた金盥の中に顔を突込んだとしか思われない自分の異な顔を、どうしても忘れ得ないそうである

(「帰ってから」九)

この「忘れ得ないそうである」との書き方から存命が強く推認される。もし亡くなっていれば「お重は忘れることができなかったらしい」との過去形が含まれるはずだ。

また、お重についてもふれたが、結婚相手探しは既に進められているにもかかわらず、二郎も結局物語終結まで独身であった。そのままであれば後に直の再婚相手と成り得る。

もしかしてそれを期待して縁談をあまり進めなかったのか、二郎は。


3(3)「こころ」の「私」と静

漱石の他作品「こころ」において、「先生」の自死後、「私」と静(お嬢さん)とが再婚したのでは、との解釈がある。

これは私自身もどこかで書きたいが、「私」と静が妙に仲がいいこと、当時の「私」には子がないが現時点でいるかのような描写があること、「先生」の遺書の末尾が「私が死んだ後でも、妻が生きている以上は、あなた限りに打ち明けられた私の秘密として、すべてを腹の中にしまっておいて下さい。」(「下 先生と遺書」五十六)と、「私」が静の生死を把握できる状況下にいるよう先生が求めていること、などに基づく。

これと似たようなことが、「行人」でもいえないだろうか。
・二郎は芳江と妙に仲が良い(「意味のある笑い」「叔父さん一寸入らっしゃい」)
・一郎が、疑うようで実は直と二郎がより仲を深めるような「プログラム」を和歌山でさせたこと
・異常に悩んでいるような二郎が「塵労」冒頭でだけは妙にやる気「呼息をするたびに春の匂いが脈の中に流れ込む快よさを忘れる程自分は老いていなかった」

苦しいか、、、

3(4)無意味な「梅」

直の(暗示的な)誘いを、二郎が内心で否定したような描写がある。

自分が番町へ行ったとき、彼女は「二郎さんの下宿は高等下宿なんですってね。お室に立派な床があって、庭に好い梅が植えてあるって云う話じゃありませんか」と聞いた。然し「今度拝見に行きますよ」とは云わなかった。自分も「見に入らっしゃい」とは云いかねた。尤も彼女の口に上った梅は、何処かの畠から引っこ抜いて来て、そのまま其処へ植えたとしか思われない無意味なものであった。

(「帰ってから」三十八)

この数章後に、二郎の下宿を訪れた直の「妾なんか丁度親の手で植付けられた鉢植のようなもので一遍植えられたが最後、誰か来て動かして呉れない以上、とても動けやしません」が出て来る(「塵労」四)。

ちなみに「梅」は和歌山で二郎と直が二人で最初に入った料理屋(泊まった宿ではなく)にもあった。
(「嫂は手摺の所へ出て、中庭を眺めていた。古い梅の株の下に蘭の茂りが蒼黒い影を深く見せていた。梅の幹にも硬くて細長い苔らしいものが処々に喰付いていた」(「兄」二十九)
直が上記でふれたのはこれを思い出させようとしたのか。

これらを合算して考えてみると、「鉢植えである直を植え替えても二郎の下宿にある梅のように、無意味」となってしまいそうである。

しかし、誰かに動かしてもらうのではなく、梅自身が動き、飛んでくればよいのでは。

少しはしょる。
・「坊っちゃん」に少しだけ菅原道真が出て来る(「大宰権帥でさえ博多近辺で落ち付いたものだ」・八)
・菅原道真といえば「東風吹かば にほいをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
・この菅原道真が詠んだ梅の花が、主人をおって京都から太宰府まで飛んで来たという伝説がある。大宰府天満宮にはその梅だとされる「飛梅(とびうめ)」がある。

つまり、直が誰かに植え替えられるのではなく、自分から二郎のもとに動いてこれば、「無意味」ではなくなる。

二郎は言っていた。
・「尤もこんな問題になると自分でどんどん進行させる勇気は日本の婦人にあるまいからな」(「兄」五)
いっそ一思いにあの女の方から惚れ込んで呉れたならなどと思っても見た」(「塵労」二十三)

そして、「塵労・二十七」においてお重が二郎の見合い話を語った際、直が最後までその場にいたことも(暗に)示されている。
(「嫂は全くの局外者らしい位地を守るためか何だか、始終芳江のおもりに気を取られ勝に見えた。日が暮れさえすればすぐ寐かされる習慣の芳江は、昼寐を貪り過ぎた結果として、その晩はとうとう自分が帰るまで蚊帳の中へ這入らなかった」)

二郎の見合い話を聞かされた鉢植の梅・直が、誰かに動かされるのではなく、自分から二郎の元まで飛んで来た。

それであれば、「この棒ひとり動かず、さわれば動く」が「丁度好い」二郎も、再婚できる。

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