夏目漱石「三四郎」⑤ モテない男達、美しく(3)
1、ヒロインからなにも告げられない主人公
繰り返すが、「三四郎」の主人公・三四郎は、女にフラれた男である。
・ヒロイン・里見美禰子に思い切って告白するも、聞かなかったことにされ、溜息をつかれてしまう。
・さらに美禰子は三四郎にはなにも告げずに、三四郎の知らない男と婚約している。
・三四郎はそれを知人から伝えられる。
この後段、
・結婚等の重大事項を片思いしてる女性本人からは告げられずに、事後的に友人から知らされる
これと
・片思いしている女性が、いつのまにか自分の全く知らない男とくっついている
これらの点が、「モテない男」の描写としてリアリティーがある。実にリアリティーがある。
・自分にとっては、その女性のことがなによりも大事で、人生を共に過ごしたいと願うほどの重要な存在。しかし向こうは特にこちらのことを重大視していない。婚約について事前に相談や話をする必要など全く微塵も感じていない。むろん婚約後にもそれを自分で伝える必要も全く微塵も感じていない
・自分にとっては、その女性こそが世界の中心・ほとんど世界のすべてのような存在である。しかし向こうにとってはこちらはあくまで「知人の一人」程度であり、こちらに特に話もしていないし話をする必要も感じていない別の世界をしっかり持っている。そのこちらの全く知らない世界の中で、こちらの全く知らない男性と出会っており、その男性と仲良くなり、結婚も決めている
「モテない男あるある」である。片思いの女性と自分との間に、無限の差が存在する。
あるいは片思いに限らずとも、クラスメートや同僚の恋愛事情について、モテる男女は何故かリアルタイムで誰が誰に告白したとか、それでどう返事があってどう付き合っていつ別れたか、という話を普通に把握している。
しかしモテない男は、何故かそれを事実発生の数か月~数年経過後になって、ようやく知らされるのである。特にこちらに話すことが誰かの不利益になる可能性が全くないような事柄ですら、何故かいつもかなり期間が経過した後に、ようやく知らされるのである。
三四郎も美禰子の結婚を、なぜか友人の与次郎から知らされる。
なぜ与次郎が三四郎よりも先に正確に把握していたのかは、なんら示されていない。これもリアリティーがある。なぜ俺には恋愛事情が知らされてなくてこの人はすぐに知っているのか・どこで情報を耳にしているのか、その理由もモテない男には不明なのである。
2、フラれたままの主人公
そしてこれも繰り返すが、「三四郎」は三四郎の成長物語ではない。
好きだった女にあっさりフラれた三四郎が、その後成長する兆しとか、多少は女にモテるようになる兆しなどは、全く描写されていない。
「三四郎」は主人公が23歳、九州から将来を夢見て上京する場面から始まるので、青春物語として語られる。
しかし青春物語にありがちな、最終回での爽やかな卒業式とか、一回り成長した主人公たちが社会への一歩を踏み出すとか、たとえ違う道に進んでも主人公とヒロインがいつか未来に再会できそうだとか、そんな描写は全く微塵も、なにひとつないのである。
何度でも再掲するが、小説「三四郎」はこう終わる
三四郎はなんとも答えなかった。ただ口の中で迷羊(ストレイシープ)、迷羊(ストレイシープ)と繰り返した。
(「十三」)
(※ 著作権切れにより引用自由です。)
なお「三四郎」全十三章のうち、三四郎が美禰子にフラれたのは「十」である。
つまり、フラれてから既に一定期間が経過しているのに、三四郎はいまだに「迷羊 ストレイシープ」のままなのである。
物語では三四郎がフラれた以降も、以下の出来事が経過している
・学生新聞? に広田先生を批判する記事が載る
・三四郎が広田先生宅を訪れる。広田先生から昔一度見掛けただけの少女の夢の話をされる
(以上「十一」)
・三四郎が演芸会を観劇 → 発熱
・与次郎から美禰子の婚約を知らされる
・野々宮よし子が与次郎に言われて三四郎を見舞う
・三四郎が美禰子に会いに教会に行く、三四郎が回想にひたる、三四郎と美禰子との最後の対面・最後の会話
(以上「十二」)
・美禰子の肖像画を含めた展覧会が開かれる
・美禰子は既に結婚しており、夫と二人で展覧会に来る
・美禰子夫妻とは別の日に、三四郎ら4人(与次郎、広田先生、野々宮兄)が展覧会に
・三四郎が田舎に帰省している間に美禰子の結婚式の招待状が届いていたこと、三四郎の帰京時には既に式は終わっていたことが示される
・三四郎「ストレイシープ、ストレイシープ」と繰り返す
(以上「十三」)
最終章は、美禰子と三四郎、もしくは美禰子と三四郎・与次郎・広田先生・野々宮兄の4人とが対照的である。
・実社会で地位のありそうな大人の男性と既に結婚をし挙式もすませ、「夫婦」として外出し、新たな生活・人生の新たなステージに完全に移行している美禰子
・相変わらず、それほどぱっとしていない面子で特に成長や良い出来事もないままの三四郎ら。当然だがうち四人のうち二人はまだ学生。広田先生も野々宮兄も浮世離れしておりその状態のまま変化なし
・特に三四郎はいまだに失恋か立ち直っておらずそのきっかけも見いだせず、「ストレイシープ」のまま
主人公はなんら成長もなくその兆しもなく、小説「三四郎」は幕を閉じている。
3、フラれたままのモテない主人公、美しく
しかし、そんな三四郎を、夏目漱石は美しく描いているのである。
「三四郎」のラストを再度引用する。三四郎ら四人が展覧会会場に入り美禰子の肖像画(「森の女」)を見る場面
大勢の後から、覗き込んだだけで、三四郎は退いた。腰掛に倚って(よって)みんなを待ち合わしていた。
「素敵に大きなものを描いたな」と与次郎が云った。
「佐々木(与次郎)に買って貰う積りだそうだ」と広田先生が云った。
「僕より」と云い掛けて、見ると、三四郎はむずかしい顔をして腰掛にもたれている。与次郎は黙ってしまった。
(略)
与次郎だけが三四郎の傍へ来た。
「どうだ森の女は」
「森の女と云う題が悪い」
「じゃ、何とすれば好いんだ」
三四郎は何とも答えなかった。ただ口の内で、迷羊(ストレイシープ)、迷羊と繰返した。
与次郎は名前のとおり普段はおちゃらけた存在であり、他人から預かった金で競馬をしてしまうような軽薄な学友である。その与次郎と広田先生とが例によっていつもの軽い冗談を口にしてそこに三四郎も絡めようとしたところ、与次郎は「むずかしい顔」の三四郎を見て、黙ってしまった。
物語でこれまで再三与次郎の軽薄な描写を重ねてきたところ、最終盤で与次郎が急に真剣になることで一気にシリアスさを高めている。
私はこの三四郎と与次郎の描写を、美しいと思った。
「作者・夏目漱石はこの場面を必死に美しく描いた」、そう思った。
好きだった女に告白するもあっさりフラれ、迷惑がられてしまった男、
好きだった女は既に結婚して違う世界に行ってしまったのに、いつまでもフラれたことを引きずっている男
女にフラれて傷ついたまま、成長や未来など全く感じさせず、いつまでも迷っているばかりの男
そんな男を、夏目漱石は美しく描いたのである。
モテない三四郎、美しく
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