夏目漱石「三四郎」③ モテない男達、美しく(1)

1、モテない男達を美しく描く

夏目漱石「三四郎」の、他の物語にない最大の特徴は、

「モテない男達を、美しく描いた」

これである。
笑われ役でも憎まれ役でも、最初から異常者のような設定でモテない男を描いたのではない。
真面目なお話で、モテない男達を美しく描いたのだ。

その場面は二つ。
一つは、広田先生の回想
もう一つは、三四郎の回想+末尾 である。

まずは広田先生を語ります。

2、二十年も美少女を引きずる男・広田先生

(1)引用

「三四郎」の主要登場人物として、「広田先生」がいる。
高校の英語教師で、中年だが独身である。
三四郎の学友・与次郎は広田先生の書生のような立場で、いっしょに新しい賃貸住居を探すなどしている。

この広田先生が独身主義者なのだが、そうなった理由の一つを物語の終盤、広田先生が三四郎に、昼寝中に見た夢に絡めて語りだす。
広田先生は、大昔に、一度だけ見かけただけの美少女を、いつまでも引きずっているのである。
以下、多数中略しつつ示します。

「面白い夢を見た。それはね、僕が生涯にたった一遍逢った女に、突然夢の中で再会したと云う小説染みた御話だが~」
「十二三の奇麗な女だ。顔に黒子(ほくろ)がある」
(三四郎)「何時頃御逢いになったのですか」
「二十年ばかり前」
(略)
「~ 見ると、昔の通りの顔をしている。昔の通りの服装をしている。髪も昔の髪である。黒子も無論あった。~ 次に僕が、あなたはどうして、そう変わらずにいるのかと聞くと、この顔の年、この服装の月、この髪の日が一番好きだから、こうしていると云う。それは何時の事かと聞くと、二十年前、あなたに御目にかかった時だという。~」
(略)
(三四郎)「何処で御逢いになったんですか」
 先生の鼻は又烟を吹き出した。その烟を眺めて、当分黙っている。やがてこう云った。
「憲法発布は明治二十二年だったね。その時森文部大臣が殺された。(略) 
僕は高等学校の生徒であった。大臣の葬式に参列するのだと云って、大勢鉄砲を担いで出た。(略)その日は寒い日でね、今でも覚えている。
やがて行列が来た。何でも長いものだった。寒い眼の前を静かな馬車や俥が何台となく通る。その中に今話した小さな娘がいた。~」

(三四郎)「それからその女にはまるで逢わないんですか」
「まるで逢わない」
「じゃ、何処の誰だか全く分からないんですか」
「無論分からない」
「尋ねてみなかったですか」
「いいや」
「先生はそれで・・・・・・」と云ったが急に痞(つか)えた。
「それで?」
「それで結婚をなさらないんですか」
 先生は笑い出した。
「それ程浪漫的な人間じゃない。僕は君よりも遥に散文的に出来ている」
「然し、もしその女が来たら御貰いになったでしょう」
「そうさね」と一度考えた上で、「貰ったろうね」と云った。三四郎は気の毒な様な顔をしている。

(略)
「僕の母は憲法発布の翌年に死んだ」
(十一)
※ 著作権切れにより引用自由です。

広田先生はおそらく40歳近い。その男が、12~13歳の少女の面影をいまだに引きずっているのである。もし令和6年の現代であれば、この設定だけでも「炎上」させられてしまうかもしれない。
しかも、その美少女とは好き同士であったわけでも、仲が良かったわけでもなんでもない。口を聞いたことすらなく、ただ一度、ただ一度こちらが一方的に見掛けただけなのにである。
(この「口を聞いたこともなく見掛けただけ」との関係は「坊っちゃん」の坊っちゃんとマドンナにも共通する)
広田先生は二十年たった今でも、その美少女のほくろや、その時の髪・服装も覚えているのである(むろん正確な記憶かはともかく)。

(2)美しく描写

私はこの一連のくだりを、「三四郎」の中で一二を争う「美しい」描写だと感じた。
きっと夏目漱石もこれはあえて美しく描いたのだと勝手に信じている。少女の面影をいつまでも引きずる中年男をだ。

これは美しく描かれているからいいが、客観的にみれば女性から嫌悪されそうな設定である。

・独身の中年男、仕事も外見もあまりぱっとしない
・その中年男が、付き合ってもなく特に仲が良かったわけでもない少女のことを、いつまでもいつまでも引きずっている
・少女の顔にほくろがあったとか髪型服装を一方的にじろじろ見てしっかりチェックしている
・話してもいないのに顔をみただけで好きになっている
・しかも相手の少女は13歳か下手すると12歳。
・さらにそのぱっとしない中年男が同じくぱっとしない男と二人で、その女の子が好きになってくれたら結婚するなどと、都合のいいあり得ない妄想を真面目に語り合っている

こんな設定なのである。
こうやって挙げればどう見ても広田先生は女性からみて魅力的な男性とは思えない。むしろモテない男であろう。

しかし、夏目漱石はそんな広田先生を、美しく描いたのである。
物語の終盤において。(全十三章のうちの「十一」)

(3)三四郎も同類

そしてもう一つこの箇所で指摘したいのは、
・三四郎が妙に鋭い
ということである。

基本的に三四郎はやや頼りないというか、あまりしっかりしていない男性として描かれている。田舎から上京して立身出世と都会の美女との結婚を勝手に夢見るも、好きになった女に最後は告白を無視され、思わずもう一度告白してしまって女から溜息をつかれてしまう男である。
友人の与次郎からも、

「女は恐ろしいものだよ」と与次郎が云った。
「恐ろしいものだ、僕も知っている」と三四郎も云った。すると与次郎が大きな声で笑い出した。静かな夜中で大変高く聞える。
「知りもしない癖に。知りもしない癖に」
三四郎は憮然としていた。

(「六」)

こう見られている男である。
しかし、そんな女性にあまりモテない三四郎が、先の広田先生が引きずっている美少女についての会話では、鋭いところを見せるのである、二度。

「先生はそれで・・・・・・」と云ったが急に痞(つか)えた。
「それで?」
「それで結婚をなさらないんですか」

そもそもこの会話は、三四郎が用事があって広田先生を訪ねたところ昼寝をしており、その際に見た夢を語りだしたものである。どちらかあるいは誰かの恋愛や結婚について話題にのぼっていたからされたものではない。
だが三四郎はここで、二十年前にその美少女を一度きり見掛けただけの出来事が、広田先生が現在も独身でいる理由ではないかと思い当たったのである。

もう一つの三四郎が急に妙に鋭くなる点は、上記の指摘を広田先生が笑って軽く否定した後に、鋭く仮定の話を思いついて広田先生に問うのである。
いや「問う」というよりも三四郎は答えを確信した上で広田先生に聞いている。

先生は笑い出した。
「それ程浪漫的な人間じゃない。僕は君よりも遥に散文的に出来ている」
「然し、もしその女が来たら御貰いになったでしょう」
「そうさね」と一度考えた上で、「貰ったろうね」と云った。三四郎は気の毒な様な顔をしている。

この会話を分析する。
広田先生は一度、笑って軽く受け流そうとしている。
しかし三四郎はすぐさま、「その美少女が向こうから嫁にきてくれるなら」との仮定を思い付いた。
さらにその仮定が生じた場合の広田先生の結論を、一瞬で確信した。そして確信をもって広田先生に質問し、確信したとおりの答えが返ってきた。やや悲しい、絶対にあり得ない仮定に対する答え。

そもそも、相手の美少女は一度見掛けただけでどこの誰かも不明である。向こうから好きになってくれて結婚を求められる可能性は、ゼロである。仮にお見合い話がきたとの想定であっても、一度見掛けただけで好きになった美少女とたまたまお見合い話が舞い込むなどという確率は極めて少ないだろう。

しかし、三四郎はそのあり得ない仮定を、一瞬で思いついた。
そしてそのあり得ない仮定が生じた場合の広田先生の結論も、一瞬で確信した。あのモテない三四郎がだ。

これは、三四郎自身が、そんな妄想をしているからであろう。
たまたま見掛けた美人が、向こうから妻になってくれる。もしくはお見合い話が舞い込む。そんな妄想。
そして、広田先生も同類だ、そう三四郎は確信したのだ。この夢の話から。
だから三四郎はこの時だけ、急に鋭かった。

(3)女から来てくれたら

もう一つ、上記の会話を分析する

「然し、もしその女が来たら御貰いになったでしょう」

三四郎が急に思いつき、答えを確信した仮定は、
女から「来たら」の話である。
「もし、その女と出逢えていたら口説いたでしょう」とか、
「もし、その女や身内と知り合いになれたら見合いを申し込んだでしょう」
ではないのである。

もしその女が「来たら」の話である。

なぜ、上記のように自分から口説いたり見合いを申し込むのではなく、
女から「来たら」について、三四郎と広田先生は妄想し、結論を話しているのか。

自分から動いたら、拒絶される危険があるからだ。

女性が向こうから来てくれるのであれば、断られる危険は当然ゼロだ。
しかし自分から動くのであれば、断られ拒絶され、迷惑がられる危険がある。
そんな仮定はしたくない。

だから、三四郎と広田先生が共有した仮定は、
もしその女が来たら
なのである。

モテない男達よ、美しく




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