宛先は君に 2021年6月21日

2021年6月21日

 朝目を覚まし朗らかな気分でいられる。こんな気分はいつ以来だろう。
 支配されたアルゴリズムの街から離れ、僕とりかはただ二人で近くの川まで漕いだ分だけ進む自転車に乗って、自然という、人間が与えるものを受け取ることの出来ない僕らに関係なく届けてくれる美しさを享受しに出掛ける。日焼けした手足を半袖と短パンで仰々しく露出したジンさんと、黄色のワンピースに白い肌、麦わら帽子を深く被って、日差しを避けるリンさんがピクニック気分でパンを紙袋に詰めてやって来るのが、お昼を告げる合図で、川のせせらぎと四人の交わる会話の美しい調和の中で、僕は下草に自分の背中をぴったりと着けて、地球の偉大さを熱で感じ取る。でも、それと同時にこの下草を小宇宙とした生物が無数にその生命を煌かせており、僕の寝返りや後頭部で組む手の動きやらで、それが終わってしまう可能性があることにゾッとする。そしてそんな妄想の中で僕は、彼らの話を背後に押しやって、終いには自分の人生もそんなものではないかと、悲しくなってしまうのだ。
 りかの太陽に晒したのは初めてだとも、言えるような白い足が、スカートの裾から飛び出し、そこに木漏れ日の模様が浮かび上がった。彼女は念入りに塗りたくった日焼け止めを川の流れに持っていかれるのを防ぐため、足首すらも決して、浸すことはしない。その隣で同じように太陽光を嫌うリンさんが、日傘をパラソルのように組み立て、日陰の中で本を片手に持って、それをりかに薦めている。一方、川の中で、捲った短パンの裾をお尻に食い込ました、ジンさんのくっきりと日焼け跡の残る下半身が水中の中で揺らめく。肩まで捲った半袖のシャツは、日ごろから上半身は裸で過ごしていることを告げていて、僕を呼ぶ声が聞こえる。文学青年の僕はそういった誘いには首を縦には振らない。彼はそんなことをお構いなしに僕を呼び続けて、結局は川から上がり、垂れる水滴で下草を濡らしながら僕の所に近づいて、濡れた手でもって僕の手首を掴む。りかが囃し立てる声を僕に投げかけ、リンさんは同情と呆れ顔をそれぞれに投げかける。そして僕は川の中に飛び込んで、まだ少し冷たい水に身体を浸す。
 そうやって一日を美しさと記憶されるものに変えていく。かつては夢を見ることが人生における唯一といってもいいくらいの穏やかな時間だったが、今では正反対だ。僕は日中、夢を見ているように生きている。そして、夜になってその現在を脅かす、過去が訪れる。最近の僕は、かつての最悪だった日々を夢に見るんだ。その内容はいつか話すと思う。今はよしてくれ、僕は今の気分を蔑ろにしたくないんだ。不機嫌を纏った人間が輪に入ってくるような、そんな不幸な時間を過ごしたくない。でも本来は、そういったものに怯えるべきじゃないんだ。過去はいつまでも影響を残すものだが、僕ら人間には忘却といった都合のいい力がある。いつかは、あらゆる記憶がそこに収束していくように、優しさに名を変えるものだ。それに苛つく青年時代を経て、僕も今、そこに向かうことが人生というものだと誰に教えられることもなく、感覚的に、多分きっとそれは、死と同じように、他者の経験を自己に投影させているのだろうが、理解できている。
 夜になって、夕食を卓で囲む。会話はいつだって、僕とりかを励ますものであって、そこに浮遊する佐和子さんたちの優しさがシャボン玉のように浮かんでは、鮮やかに弾ける。そうして、決して文章では書き表せない、会話の刹那なるものであり、それは一瞬の経験でありながら、記憶というどこからともなく、湧き上がる、我々人間の大いなる希望の中で永遠のものとして残り続けるのだ。
 夕食は和やかな雰囲気の中で終始、進み続け、月が高く昇るのはそのためだとも言えるような夜の雰囲気に見せられて、散歩を僕らは試みる。夜に吹く風は木の葉をカタカタと震わせ、その擦れる音が闇に潜む虫の音と共に僕らの耳に届く。明かりの照らす道をゆっくり会話に夢中になりながら、行く当てもなく、その光に集まる虫のように本能的に僕たちは海へと向かっていく。そして、浜辺にお尻の跡を並んで二つ付け、時には仰向けになって最も遠くに光る星の輝きを視線の照れ隠しをするように眺めていた。
「愛されるってどういうことなの?」とりかが夜空に向かって言って、隣の僕の方を見る。その瞳は少しうるんで見えた。でもそれは寂れた照明の弱弱しい明かりでは、確証させるまでとはいかず、その声の持つ響きが勝手にそう僕に見させていただけかもしれない。
「分からない」と僕は答えた。
「私はね」と上体を起こし、寝っ転がる私を見下ろした。「私を好きになる人はたくさん見てきたけど、それってただ私の身体を好いているだけで、そこに真の愛情を見ることは出来なかった」
「りかにとって真の愛情とは何なの?」
「それを知ることが他人と関わるってことじゃない?私は誰が自分をどう扱うかをよく見ているから。それだけが私にとって大切なことなの」
 その時の目に溜まった彼女の涙はいつまでもその視界を滲ませていくのか、それは僕たちがどうやって街を変えていくかによるものだと思うと、胸が締め付けられ、その痛みを忘れてはいけないと強く思うのだが、これはどういった視点から見つめているものなのか、分からない。まるで他人事。展望台の、小銭を入れたら使えるようになる望遠鏡を覗いているような感覚だ。
 僕らの家に戻る間、どうしてだか分からないが、それぞれの手は互いの手によって固く握られていた。それは子供たちにとっての暗い森のように、僕らの目には世界が映ったのかもしれないし、本当の気持ちの所は自分でも説明できない。しかし、固く握られた手は、分断を埋めるための何かである、そんな気分が高揚していた。僕の放つ熱と、受け取る熱は確かにそう思わせるものがあった。
 一人の部屋で、何度かベッドの中に潜り込んでみてみたものも、気が付くと机に戻って来ては、僕は自分の存在、思考を残すために筆を執っている。ふと思う。眠れるまで夜が続けばいいのにと。窓に近づいて、顔を冷たい窓に押し当てて覗く月の明かりがずっと、この肌に降り注げば、僕らは悩める存在からの解放に意識を向けることが出来るだろうにと。

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