北京留学日記 其の十
日本のメダルラッシュに沸いたパリオリンピックも閉会式を終えました。
私が北京にいた年、アトランタオリンピックが開催されました。
テレビの中継で中国勢が活躍するとそれにシンクロして、周りの中国人学生寮からものすごい歓声が上がっていました。金メダルを獲得するとどうやって登ったのか、国旗を掲げて寮の屋根を走り回る学生もいました。
私がいたのは体育大学でしたので、中国各地から才能ありと見込まれた小学校低中学年ぐらいの子供たちが武術と新体操を特訓するために集められ、留学生寮の隣の寮に住んでいました。
当時の中国では、家が豊かになるためには子供を武術の名手、できればジャッキー・チェンのようなカンフーアクターに、またはオリンピック選手にするというのが近道だと信じられていました。
親の期待を背負った子供たちは日々練習に明け暮れていました。
一応、昼間は小学校課程の授業があるということでしたが、新体操の子たちはバレエのレッスンなどに街に出かけ、武術の子たちはいつも体育館で練習していたので、実質授業はあまり受けていなかったのではないかと思われました。大成できなければ、小卒程度の学力もないまま普通の人として社会に放り出されるのです。子供ながらに厳しい世界です。
武術では開脚が180度どころか200度以上できなければならないので、両足を橋のように渡し、その肩を先生が押さえつけるのですが、子供は痛くて泣き叫んでいます。私がそれをびっくりして見ていると、私のクラスの先生が「子供は我慢が効かないから、先生が厳しくしないとダメなんだ、私もそうやって訓練してきた。」とおっしゃいました。最近、✕でその様子がかわいそうだとポストされていましたので、指導方法は今でも変わっていないんだなと思いました。
新体操は体育館の天井が高いからという理由で、ここでジュニアの強化チームが練習していたのですが、その当時からもうすでに有名な選手もいたようです。
オリンピックの年になるとあの子たちの幾人が国や親の期待に応えて活躍したのだろうとふと思うのです。
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