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創造的に見られるが創造的ではないギフテッド

こんにちは~ St.Mです。ギフテッドは創造的と言われますが、創造的というのは他者が観察した結果であり、ギフテッド本人としては創造的であるという自覚がないんですね。周囲の理解不能な行動を取ってしまうものの、本人としては、論理的に導かれる当たり前の行動でしかないという感覚であり、なぜ分からないのか分からない、、、そんな感覚を持っています。

ギフテッドは常識に縛られない

「考える」行為はエネルギーが要りますね

普通の人は
周囲の意見に合わせ
集団の中での常識やルールに
疑問を持たないことが多いです

集団の中で生き残るには
常識やルールに従った方が
効率がいいですから

「考える」ために
エネルギーを使うのは
非効率的だと思います

一方でギフテッドは
常識やルールに疑問を持つというか
その枠の外の世界に生きています

思考が深いからそうなってしまうのかは
分かりません

分かりやすい例をあげると

会社内で誰も疑問に思わない
慣例的に行なっている業務の中には

時代が変わって
意味がなくなっていることって
よくありますよね

たいていの人はその業務の意味などは
考えたりしませんが

別の会社から転職してきた人などは
そうした矛盾に気づきやすいですね

ギフテッドは
転職してきた人のように
集団に所属していても
その集団の外から見ていて

集団内の常識に
縛られていないのです

創造的に見えるけどそうじゃない

つまりは
集団の中にいる人からは
常識から外れた
創造的なアイデアに見えることも

集団の外にいる人から見れば
ごくごく普通のアイデアでしかない

そんなことがあるのです

ギフテッドにとっては
創造的なのではなくて

常識に縛られていなければ
普通に考えれば分かること
でしかないという感覚です

集団の常識から外れると叩かれる

ギフテッドのツラいところは
誰もが盲目的に従っている

慣行・ルール・常識の
抱える矛盾に気づき

常識に従えないことですね

従わないと叩かれると
分かっていても

抑えられないんですね

最適化の奴隷というか

やっても意味のないことは
やりたくないのです

考えない人が多数派であり
多数派=正義を振りかざして
ギフテッドを叩く

という構図に
どうしてもなってしまう

以前の記事でも書きましたが
スーパーで働いていると
誰もが「売り込み商品は売り込むもの」
ということに疑問を持ちません

ですが利益を取るためには
「売り込まない方がいい」
という状況になり

売り場から撤去した結果
批判にさらされたことがありました

だからといって「考えない人」を批判しても仕方ない

先ほども書きましたが
考える行為にはエネルギーが要ります

深く考えずに生きている人を
批判しても仕方ない気がします

考えることは
それができる人がやれば
いいような気がしています

色々な価値観を尊重することは

集団を強くすることに繋がるので

自分とは違う価値観を
受け入れることが
当たり前の社会に
なってほしいですね

ギフテッドが常に正しいわけではない

ギフテッドだからといって
正しいとは限らないです

考えない人を導くのが役割なんて
言われても困ります

僕はギフテッドの役割って

「問題提起」

なんじゃないかなって思います

僕の意見を否定せずに聞いて
考えるきっかけにしてほしいな~
と感じています

意見を主張するにしても
相手を否定しないようにして

人から受け入れられる人間性を
磨いていきたいですね

今回はここまで
ではまた!

お金はご自身やご家族のためにお使いください。みなさまに幸せの訪れを願っています。