動画スクールの功罪

突然だがこの事件は知っているだろうか

https://news.yahoo.co.jp/articles/80f35a69b5c090cd8c8d5c9cc6364e50fa773aca

品川区の戸越で起こった一家心中の事件

犯人の男性は美容師・介護職と経験し、スクールを経てフリーランスの動画編集者となった

これ以上、勝手な憶測で因果を強めると該当スクールへの業務妨害になるので避けるが、

どうもこの事件を耳に入れてから落ち着かない
頭の中で別の考え事をしようにもこの事件のことをつい考えてしまう。

それは、紛れもなく私の前職と合致するからだ

私は前職では『動画編集スクール』の講師を務めてた
発足当時は最先端で周りのそんな業態はひとつもなく、僕自身も「よくやるなぁ」と思っていた。

そして、年月は経ち、そのスクールも大きくなり
それを模倣するように類似したサービスも乱立した。
コロナ禍も相まって動画編集への注目度は最高潮になり、おかげでかなり忙しくさせて頂いた。

いまや、ちょっとSNSを覗けば直ぐに広告でスクールの広告が流れ
クラウドソーシングサイトでは『動画編集スクールのモニター募集』がかなりの数募集されているし、
副業の代名詞は一時代前のアフィリエイトからめっきり動画編集に成り代わったとも言える。

「稼げる!動画編集を学ぼう!」
「動画編集を学んで、自由な生活! 」
「動画編集で新たなキャリアのスタート!」


はっきりいって、食傷気味だ

  • 明確な資格が必要ない

  • 導入コストの低さ

  • YouTubeなどの大手の稼げるサービス

  • 「動画」という日常にありふれすぎているもの

  • ちゃんと仕事である

なんと、都合がいいんだろう
今までは稼げる「手法」として数多の副業があったが
動画編集は稼げる「仕事」として紹介されてある。
仕事であれば、疚しさもないし真っ当なことをやっていると思える。

だかしかし、そんなに無責任に稼げる稼げると謳っていいものだろうか?

実際、スクールを経て技術を習得し、案件を獲得し稼げている生徒はいるだろう。

ただ、そんな人はどの仕事をやっても稼げると思う

人が変化するための覚悟支出
勇気スキルに変換してるだけだなと思う。

そんなスクールが乱立したことによって
動画編集の価値は相対的に下がる
すると単価も低くなる

これが本当にあるべき姿なのだろうか?

要するに信念もない単なるビジネスとしてのスクールが乱立し
動画編集の価値を下げて
稼げなくなったら知らぬ存ぜぬで飛んでおしまい

そうなりそうなスクールに
「稼げないから責任をもて!」
「詐欺だ!!」
なんて言葉は通じないだろう。

はっきり言って動画編集で1番楽に辛い作業などをせずに稼げる方法は
「動画編集を教えること」なのだから。

なにそれ
そんな風に思われてたまるか

血反吐吐きながらカリキュラム作って
セミナーの日、目前には緊張で一睡も出来ないから何度もスライドとにらめっこして夜を明かして。

一日中大きな声で一生懸命教えて、時には悩んで
喉を潰して。

そんな経験しても、
生徒さん全員が納得した顔
全くPC触れない人がAfterEffectを操作していた時
動画を納品して先方に納得してもらったとの報告

それを願わくば私に関わった人全員に成功体験を感じて欲しいと切に願った

そこまでの強い信念が「あなた達」あるだろうか?

あの事件は僕がいたスクールの生徒のIfかもしれない
もしくは僕自身のIfかもしれない


動画編集スクール
はっきり言って、食傷気味だ。

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