見出し画像

【小説】11月、落ちる紅葉を受容する【前編】

「そうなんだ! 気をつけていってきてね~」

 娘からのメッセージに、幸子は自然と笑顔になった。数年前、娘の言われるがままにスマートフォンを使い始めたが、便利なものだ。これ一つで調べものもできるし、メッセージのやり取りは無料だ。
 何かしら理由をつけて娘に電話をしたりメッセージを送ったりしていたが、娘も忙しいらしい。やり取りは1〜2週間に数回あればいい方だ。寂しい気持ちもあるが、娘には娘の人生がある。邪魔してはいけない、と最近は連絡を控えている。娘は仕事一筋、平日はフルタイムで働いており、何十年か前に結婚したが、上手くいかず別れてしまった。別れた直後は家に帰ってきていろいろと世話を焼いたが、しばらくすると元気になってまた一人暮らしをすると言って家を出ていった。

”まもなく代々木、代々木”

車掌のアナウンスが聞こえたので「あとで写真を送るわ。」と返信し、幸子は電車を降りた。

 代々木公園は少し混んでいた。ちょうど紅葉が見頃なのだ。まるで地面が水面かのように、赤くなったカエデの木の下に丸く赤いじゅうたんができている。平日の昼間ということもあり、訪れているのは幸子のような老人たちが多かったが、ランチ帰りのOLや、営業マンらしきサラリーマンもちらほらと歩いていた。昼休みが終わるころなのだろう。急ぎ足で公園を後にする姿を横目に、幸子は紅葉を見上げた。紅葉の赤の間から良く晴れた空の水色が見える。少し風が吹くと葉がサーっと音を立て、何枚かの葉がひらひらと宙を舞う。
 子どものころ、近所の公園で落ちてくる紅葉を捕まえる遊びをしていたわ、とそんなことを思い出したが、今は子どものころのように機敏に動くことなんてできない。年を取ると関節という関節が痛み出すので、正直歩くのもやっとなのだ。
 今日は久々の外出だった。膝の調子がよさそうだったから、ということもあるが、この前の新聞で代々木公園の紅葉が見頃を迎える、という記事を見て、なんとなく惹かれてきてみたのだ。でも、来てよかった。外の空気はやはり気持ちが良い。

「きれいですね。」

 気分が上がり、思わず近くにいた若い男性に声をかけてしまった。若い男性は少し困惑した様子で、

「そうですね。」

と言い、では、と立ち去った。
 私ったら、またやってしまったわ、と幸子は思った。普段人と話すことがないものだから、たまにこうして通りがかりの人に話しかけてしまう、というのが最近の悩みなのだ。
 なんだか少し恥ずかしくなり、その場に居づらくなったので、幸子は家に帰ることにした。

 昼間にもかかわらず、山手線は座席が埋まるくらいの人が乗っていた。電車に乗り込むやいなや、大学生らしき女性が席を代わってくれた。席を譲られるくらいの年齢になってから何年も経つが、みんな優しいものでよく席を譲ってくれる。ずっと立っていると膝と腰が痛くなってきたり、電車が揺れるときにバランスを崩したりしてしまうことがあるので、座れるのはとてもありがたい。ありがとうございます、と伝えると、女性はにこっと微笑んでドアの近くに移動していった。
 渋谷で降りて田園都市線に乗り換えたが、渋谷の変わりように幸子は驚いた。ごちゃごちゃとして古臭いイメージだったが、大規模な再開発が進んでいるようだ。駅の窓から、ガラス張りの近代的なビルが見える。昔渋谷に勤めていたころ、よく街の喫茶店や居酒屋に通っていたが、この変わりようだと今はもうないかもしれない。そう思うと少し寂しい気持ちになった。
 ふと周りを見ると、カラフルな髪の色をしてギターを背負った人、レースがあしらわれた真っ黒なワンピースを着ている人、制服を着崩して学校をサボって遊びに来たような高校生など ”イマドキ” の若者ばかりとすれ違った。なんでもない長袖になんでもないズボンを履いた自分だけがこの街から浮いているような感覚がした。
 田園都市線の電車に乗り込むと、とてつもなく眠くなってしまい、幸子は目を閉じた。最近、昼間でも猛烈に眠くなってしまうことが多い。代々木公園にいたのは30分ほどだが、体力が落ちているということなのだろう。閉じた瞼の隙間から、少し落ちるのが早くなった太陽のオレンジ色を感じた。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?