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「いちばんすきな花」を観て孤独に殴られた私の感想

ドラマ「いちばんすきな花」1話を観ながら
胸が引き裂かれそうな気持ちになっている。

泣きそうではなく
泣きたくなったからだ。

私は今現在1人だ。
しかし正真正銘1人、ではないと思っている
地元には家族も数人の友達も、
趣味を分かち合える友達も
支えてくれる趣味だってある。

この世界で生きていれば1人であることは難しいとさえ思う。(コンビニの弁当食べながら考えるよ。有難い。)

その反面、社会との対比に泣きたくなることもある。


ただ"孤独であること"に私は何度も殴られてきた

街を歩けば騒がしいと思う。
それだけ人が人と話していて
人に会うために車を走らせバスに乗る。
エスカレーターで後ろにいる"マッチングアプリで今日出会いました"風の2人の会話を聞きながら、これは付き合わないな〜なんて考えた瞬間、
自分にはアプリを登録する勇気もなく今日会話する誰かもいない孤独に気づく。

地元の友達との精神的距離に気づかないふりをして
愛想笑いしていることに友達は気づいているんだろうか。
あなたといると楽でいいな、と言われる私は本当に楽なんだろうか。
インスタで繋がっていないと結婚したかもわからない関係性に価値などあるんだろうか。
言われる「可愛い」が苦痛なのは何故なんだろうか。

子どもの笑い声を聞いて泣きたくなる私はどこか歪んでいるとさえ思う。

こんな私が1人この足で立つためには、
冷め切った私の孤独を愛することしかなかった。

そんな孤独を「わかるよ」と言われて納得出来ないほど、私は歪んでいて、素直ではない

本当救いようがない。

この絶望に泣きたくなったのだ。

ドラマの感想を地元のドラマ好きの友達が
インスタのストーリーで呟いていた。
クラスの1軍であり圧倒的中心人物の彼女にこのドラマはどう響いたんだろうか。

彼女は素直に「男女の友情」は成立するのか
彼氏に女友達がいたら嫌だな

と。

多分、一般的かつ制作側が狙った反応なんだろうと思う

ごめん、やっぱり私はズレてる
こんなところでも自分語りを始めてしまうくらい
自分の孤独に溺れていると思う
(と考えるところも多分周りが見えていない一般的考えで自分は凡人なのだとも思う)

かっこ悪い

自分の感情の器と語彙の天秤が釣り合わないことを恨むばかりである



さて、4人の中の1人でもなく
2人の中の1人でもなく
大人数のうちの1人でもない私に
(物理的にそういう状況に置いても孤独を感じる)

このドラマを観ることは救いなのか
耐え難い苦しみなのか

誰かと共有したいと私は思えるのか。

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