「四十肩」と「習慣化テクニック」から派生したメンタルヘルス向上術
わりと強引なタイトルですが決して扇情的な内容ではございません。四十肩になり悶絶し、治りかけている現状で実践し、心身ともに健やかな作用の発見があったという体験ベースのお話です。
前提として40代である私は、年始に右肩に痛みを感じました。数日するとそれは激痛へと発展しました。服に袖を通すだけなのに絶叫するほどの著しい痛みでした。原因がわからない心因的な不安も日に日に増しました。
恐ろしくなった私は、「どの機関で診てもらうべきか」と迷いましたが、「最も信頼できるであろう」と判断し、整形外科へ行きました。
問診とレントゲンを経て「四十肩」が確定しました。整形外科の先生は「四十肩・五十肩」について丁寧に説明してくれました。
「四十肩・五十肩とは、肩の筋肉の内側にあるセロテープ状の4つの『腱板』が炎症を起こし、痛みを引き起こす『症状』です。根本的な治療法はなく、痛み止めも『痛みをやわらげる』効果のみであり、根源的な治療法ではありません。そのうち治りますよ〜」
とのことでした。あくまで「病」ではなく「症状」であると、強調なさっていました。先生の仰った“そのうち”には個人差があり、数ヶ月から3年程度に及ぶとも仰っていました。私の場合は半年弱でかなり回復しました。
肩とは別で、定期検診でメンタルクリニックに行きました。その時、主治医になんとなく四十肩のくだりを伝えました。
私 「――あと、メンタル関係ないですけど四十肩が治ってきまして」
精神科医 「反対側の肩もなりますよ!(クワッ)」
私 「(なんで脅すんだろ?)うわあ!」
精神科医 「わたしは両肩なりましたからね……」
私 「それは……難儀でしたね……」
そんなこともあり、私は先月あたりから四十肩が回復期になったことを自覚したので、肩の可動域を広めるリハビリをかねて、毎日腕立て伏せをすることにしました。
なぜかというと、四十肩・五十肩と肩周りの筋肉の筋力低下は因果関係があるからです。もうあんな辛い日々は懲り懲りなことに加え、“反対側の肩もなりますよ!”という、謎に強めの注意喚起があったこともその動機となります。
そこで思いました。「毎日やるのしんどいな」と。筋トレを習慣化させるのはシンプルにダルいという怠惰な情念が真っ先に頭をよぎりました。
そこで「習慣化」のテクニックを応用させることにしました。
このnoteを毎日書くことが習慣化できて、筋トレが習慣化できない理由はないと断じたのです。
習慣化のテクニックのひとつとして「毎日、決まった時間にそのタスクを行う」というものがあります。これを採用しました。
腕立て伏せをするのは数分間。たったの数分間です。では、この「たったの数分間」をどこに割り当てればいいかと吟味していた時はPCが立ち上がるまでの時間でした。
最近のPCは立ち上がりが早く、特に私も使用しているMacはスピーディーに立ち上がります。しかし、私のMacには音楽制作用のソフトやインターフェースや外部プラグインなどをめちゃめちゃ搭載しまくっていることもあり、立ち上がりまで数分かかるのです。
「ここだ」と思い、PCを開いて立ち上がるまでの数分を筋トレの時間に割り当てました。それを習慣としました。
結果、案の定、今のところ毎日その数分間で腕立て伏せを続けられています。リハビリになり、五十肩抑制につながり、運動にもなり、メンタルにも良い作用があります。いいことしかありません。
よって、これは体験談なので誰しもができるかというのは断言しませんが、「習慣化させるための時間指定」というテクニックを応用した、健康とメンタルヘルスがテーマの内容でした。
ちなみに四十肩・五十肩は英語だと「Frozen shoulder(フローズンショルダー)」というえらいかっこいい呼称となります。しかし、その症状は筆舌に尽くしがたい痛みと不自由さを伴います。全然かっこよくないです。
本記事は、別に「四十肩・五十肩防止に、運動の習慣化のテクニックを応用させてみるのがおすすめです」という行動喚起がテーマではありません。
私の場合の「まさか自分が四十肩になるとは……」という驚きと「反対側の肩もなりますよ!」という精神科医の謎の脅し(?)と、「習慣化のテクニック」が交差した結果、健やかな暮らしに繋がったというお話でした。
最後までお読みいただきありがとうございます。