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午前五時

 あるアーティストは午前五時を「静けさがしみ込むよう」だと表現した。集まりだした友達がいつものようにお酒を飲み始めるのが午後九時ごろで、それからは日によって調子が変わるのだけど、だいたいはゲームをし始める。時として学問の話になって、最近は就活の話を聞く。そうこうして気が付けば、はや日を跨いでいる。時間に縛り上げられた昼の時間に対して夜の時間はやかましく声をあげない。やけに親切で、寡黙で、寛大で、安心できる。もろもろのアイデアが浮かび上がってくるのもこの時間が多いような気がする。飲酒の影響だろうか。だんだんと落ち着き始めた学生が午前五時に寝付く。

 浮かび上がってくるアイデアはあまりにもろい。浮かんで消えて忘れる。また浮かんで消えて忘れる。人生においてなにか重要なもののように感じるのに、浮かんでは消えてまた忘れる。いまもまた何か浮かんだけど、消えていく。さようなら。また来てね。

 身体と精神の二元論は哲学的には難しい議論だけど、そういうのはいったん置いておいて、一般的に時々からだとあたまが結びついていない感覚におちいることはあるだろう。どうしようもなくベッドで横になり時間の解決を渇望するのも手としてはありだけど、こういうときはよく接続されていないからだをなんとかして動かすに限る。安いクロスバイクにのって数十km走るとちょっとはましになるかもしれない。深夜におこなうと暗闇がかえって自分を興奮させてくれる。

 またとりとめもなく書いてしまった。夜の時間はほんとうにやさしい。

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