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姉の進路

私には、姉が2人いる。

小学校の時から、特別支援学級に通っていることを私は知っていた。

3つ差と1つ差の姉がいた。

小学校の時、姉達が母に言われて学校を休むよと言われる日があった。

私は、その日が羨ましかった。

私も一緒に休むと何回言ったんだろう

学校を休んで姉達は、病院に行っていたらしい。

まだ当時は、ADHDや障害の区分が多くはなかった。

発達障害にまとめられる。

だから、私は今でも姉達の障害はなんなの?と聞かれても発達障害だよと答える。


姉達は、病院に行くのを小学校までで終わった。

理由?そんなの知らない。
母の気まぐれだろう。

姉達の精神年齢の検査をしたり、精神を安定させる薬をもらったりしていたらしい。

確かに、1つ上の姉は気性が荒い。
小学校時代は、急に服を脱いで帰ってきたとか

なかなかやるやつである。

しかし、姉達は障害が重いわけではない。

普通に会話の受け答えもできる。

好きなキャラクターやアニメなどもある。
私からしたら、普通の姉だ。

日常生活では、勉強や運動についていくことが難しい。

それは、姉のランドセルに入っていたプリントで知った。

小学6年生のはずの姉が、掛け算を勉強していた。

それを見て馬鹿にすることはなかった。

私だって苦手なことはある。
そう思ったから。

長女が中学3年生になった。

進路を決定しないといけない。

母は、姉のペースで勉強ができるように社会に入れるようにと養護学校を進めた。

父、祖父母は、大反対。

なぜなら、姉の障害を知らなかった。
特別支援学級に通っていることも知らなかった。

家族みんなで集まって話をした。

母が病院に連れて行っても結果を言っていなかった。

なんなら、病院に行ってることさえも知らなかったようだった。

母は、1人で姉2人の障害を抱えていた。

父、祖父母は
母に「お前は姉を障害者にしたいんか」と怒鳴った。

母もそんなわけではない。

私は、「どうして姉達をもっと見てあげないの?
明らかに、勉強にも運動面でも周りの子についていけてないよ。」

なんて言ったけど、なんの説得にもならなかった。

姉は、結局普通の高校に進学をした。

偏差値は、すごく低く。
先生も手厚く見てくれる家から近い高校に行った。

もう1人の姉も、長女に続いて進学をした。

障害を受け入れることが難しい。
こんな家庭は、まだある。

うちの子がそんなはずない。
みんなそう思いたい。

わかってるよ。
わかってるんだけどさ、その子を認めた上で接してほしい。

障害があるから何かかわるわけでもない。

障害は、その子に少し登るには高い壁があるだけ。
だから、周りが少し手を貸したり台を用意することで全く壁を高く感じなくなる。

だから、そんな偏見を持たないでほしい。

こんな風に思ったから、私は福祉の道に進んだ。

障害をどう受け止めたらいいのわからない人は、いっぱいいると思う。

私は、見てきたからわかる。

少しでも寄り添いたい。

姉達の進路の決め方、就職の決め方も見てきた。

就職は、長女は私の家は自営業だったため家の会社を手伝うことになった。

外で働くのは少し難しいと判断したためだった。

でも、今では少しずつできることを増やしていって、頑張っている。

次女は、自分でアルバイトをしていた経験もあったのでそんなに心配はしていなかったが、今は派遣社員で介護をしている。

次女に介護なんて無理だろうなんて思っていたけど、次女にはしっくりきているみたいで、毎日しんどいしんどいといいながらも頑張っている。

これが私の姉達の進路。

どれもすごく素敵だ。

色々姉達も、学生生活苦労してきてる。

社会にでも一緒。

でも、前を向いて頑張ってるよ

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