見出し画像

ワーキングデッド

「先生、今日は土曜日なのに、なんで学校があるんですか」
 六月の土曜日の朝、教室で子どもに何気なく聞かれ、うーん、と束の間考える。
 年三回、振替休日なしの土曜授業日を設ける、という規定が僕が勤める自治体にはあるらしい。地域へ開かれた学校づくり、などといった目的や理念があるのだろう。授業公開や、保護者参加型の訓練などが行われることが多い。

 とはいえ、やっている方はまあ辛い。日々の授業や子どもたちの指導に追われながら、授業の公開や訓練や行事の準備をする。週末、一週間をなんとか終え、疲れ切った心と体に、大切な訓練の、半日に及ぶ授業公開の、負担と重圧がのしかかる。

 教師だけではない。子どもたちも一週間必死に過ごしている。休養したり、家族で過ごしたり、習い事をしたり、週末には週末のルーティンがある。それが崩れる。小さい学年や、特別支援級の子などは、情緒が乱れることも多い。親は、自分の疲れも押しながら、弁当を作り、そんなわが子を必死に学校へ送り出す。学校では、教師たちが、情緒や体調が乱れた子どもに対応しながら、平日とは違う雰囲気に落ち着かない子どもたちを、授業公開に向けて必死に指導する。

 誰のための土曜授業なのか。これは何の仕事なのか。
 地域へ向けたサービス業ではないか。振替休日がないので、職員はサービス出勤でもある。

 それならと、今日は働きながらにして仕事をしないでやろうと決めた。今日、僕は働く屍である。授業は工夫せず中身の無いものにし、参観に来た人には声をかけず無視し、地域の老人たちには挨拶もせず、子どもには注意も指導もしない。無理して話しかけたりもしない。
 
 できなかった。
 
 朝から登校班で起こった子ども同士のトラブルを指導し、廊下から教室を覗く保護者に「どうぞ中に入ってください」と笑顔で呼びかけ、小数の掛け算を頭をフル回転させながら必死で丸点けをした。活気が湧かない音楽の授業を、工夫しなかったことを後悔しながら盛り上げ、お昼には、最近少し様子が気になる子どもに積極的に話しかけた。もちろん災害対策訓練を見に来た地域の役員に頭を下げて丁寧にお礼も言った。
 僕以外の教師たちも皆、力を振り絞っていた。それはそうだろう。皆プロなのだから。

「休日は 休ませてくれ お願いだ」

 土曜授業で、ある子どもが作った俳句(川柳)である。
 やっぱり、土曜日は休みだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?