「お局」論

「お局」という言葉がある。
主に職場において、ベテランで幅を利かせている気の強い年配女性を揶揄する際に使われている印象がある。

私がアルバイトをしている寿司屋は、私以外がほぼ全員年配女性である。

「お局」というのはだいたいその職場の中でも特に力を持つひとりないしは数名の人物を指すように使われることが多いように思う。
しかし私の職場の同僚たちは、全員が各々「お局」である。

これは別に全員が意地悪だとかそういうことを言いたいのではない。
各々が各々の流儀があり、その背景には尊敬に値する人生がある。
そして「お局」同士の人間模様がこれまた興味深く、人間くさく、どうも嫌いになれない。

私も人間であるので、強く当たられれば悲しくなるし、何日も傷ついたままのこともある。
私だけが虐げられていいとも全く思っていないし、マスクの内側で小声で「くっっそばばぁ」と呟くこともある。

しかしお局が何故そのような言動に至ったのか、その背景をありありと想像できてしまう。
そうすると、単純に「お局」の人間性だけに起因する話ではないという結論に至るのだ。

そう考えることで自分をなんとか保っているだけかもしれないけれど、意地悪する人も、それなりに何かを擦り減らせているのかもしれない。
どうやらそう思える余裕があるので、そう思っていたい。

本当はひとりひとりについてそれぞれ記述したいくらいなのだが、またの機会に譲る。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?