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【コドモハカセと記者の旅】アルルの妖精

【登場人物】
コドモ:長女4歳、次女1歳。
ハカセ:40代の建築史家。合理主義者。
私:30代の報道記者。転職しようか悩んでいる。

【これまでのこと】
昨年9月、家族4人でフランスを旅した時の記録(記憶)。最初の目的地アヴィニョンでは、教皇庁宮殿で悲鳴を響かせるコドモにストレス爆発。プチ・パレ美術館でボッティチェリの聖母に不思議な共感を抱く。夜中にホテルが停電。冷シャワーでコドモを洗い、ハカセお手製カスクートをむさぼる。
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彼はジャンと言った。二十歳になる立派な百姓で、小娘のようにおとなしく、体は頑丈で、顔は明るかった。顔が美しいので、女たちの目を引いたが、彼の頭には一人の女性しかなかった。ビロードとレースずくめの若いアルルの女で、アルルの闘技場で一度会ったことがある。農家では初め、この関係を喜ばなかった。女は浮気者として知られていたし、両親がこの土地の者でなかったから。しかしジャンはどうしてもこの女を欲しがっていた。

ドーデー作、桜田佐訳「風車小屋だより」岩波文庫

文庫本で10ページにも満たない。拍子抜けするほどシンプルなこの小話が、「アルルの女」への憧憬を世界的なものにしたという。
 
「風車小屋だより」は、1840年に南仏ニームに生まれ、1897年にパリで没した作家で詩人のドーデーが著した。プロヴァンス地方に実在する廃れた風車からの報告という体で、抒情に満ちた逸話をまとめた連作集である。

桜田氏訳の岩波文庫版を出国前に読み切ることができなかった私は、行きのフライトで「アルルの女」を読んだ。

ほかの短編と同様、プロヴァンスの風物と人々の生活、風習、そして詩情と悲哀が、刈り込まれた文章に盛り込まれ、じつに味わい深い余韻を残す。シンプルだからこそ想像を広げてくれる。ただ、この話から想起される「アルルの女」像は、実際のアルルの女性たちに誇りやプレッシャーだけでなく、不本意さももたらしたのではないだろうか。
 
古代から交通の要衝として多民族が行き交ったアルルに、彫りの深い美しい顔立ちの女性がいるのは恐らく事実で、男性の憧れを集めてその庇護を受けた女性がいたのも、歴史的な事実かもしれない。そのようにして生きた女性たちに対して、ドーデーが深く共感を寄せたり、人物像を具体的に思い浮かべたりしなかったとしても、時代背景からして無理からぬこと。

それにしてもドーデーの「アルルの女」は、タイトルロールの個性を微塵も感じさせず、共感を一切寄せ付けない描写で徹底している。名前もなく、詳しい容姿も書き込まない。ただレースに縁どられた、ミステリアスな女性のペルソナが浮かぶのみ。
 
そのアルルにたどり着いたのは、在仏2日目、日曜の朝だった。

アヴィニョン・セントル駅から在来線で約20分の、簡素なアルル駅から旧市街へ向かって歩いていくと、前夜の喧騒の余韻だろうか、ところどころにゴミが落ちている。街路沿いに軒を連ねるカフェやレストランはまだ起き抜けといった感じで、観客のいない舞台の静寂を一人楽しむかのように、店員が黙々とチェック柄のテーブルクロスを整えていた。
 
アルルといえば、思い浮かぶのはゴッホだ。オランダ生まれのゴッホは1888年、芸術家の理想郷を夢見てこの地に暮らし、ただ一人共鳴してくれたゴーギャンを迎えるために「ひまわり」の連作を描いた。2人の共同生活はうまくいかず、ゴッホは自身の耳を切り取り、ゴーギャンは去った。
 
アルルに現在、ゴッホの作品はない。描かれた場所やゆかりの地に、プリントされた絵や解説のパネルが置いてあり、芸術家の楽園を目指したゴッホの思いを引き継いだヴァン・ゴッホ財団の建物があるだけだ。原田マハ氏の小説「リボルバー」では、ゴッホの死の真相を巡るミステリーとともに、アルルにゴッホの真筆を取り戻したい人々の奮闘が描かれている。

この街を訪れる多くの人は、絵の不在を埋めるように、芸術家たちの悲劇的なエピソードや、ここで描かれた多くの代表作へのイメージを抱いているに違いない。有名な「ひまわり」「夜のカフェテラス」に塗りたくられた、目が覚めるような黄色。「星降る夜」に描かれた、ローヌ川の夜空にきらめく星々の深い青。
 
しかし、いざ訪れてみると、アルルのメインカラーは古代ローマの歴史的建造物の色である「白」と、太陽の「オレンジ」だということを突きつけられる。

アルル駅からゴッホの住んだラマルティーヌ広場を抜け、カヴァルリ門を通って街中へ進むと、フランス最大という巨大な円形闘技場が現れる。現在も闘牛などのイベントが開催されているといい、この日は前日の後片付けのためか、それとも準備のためか、中に入ることはできなかった。

闘技場のカーブに沿ってさらに中心部へ向かっていくと、白い大理石がまぶしい紀元前1世紀末の古代劇場が現れた。

アルルの古代ローマ劇場

使われた大理石の大半は、中世の都市づくりでほかの建築に転用されたため、残っている大理石は雑然と転がる。扇形に広がった階段状の石の座席と、中央の舞台は端正な姿をとどめていて、円形闘技場と同様、現在も抜群の音響効果を生かして、コンサートなどに利用されているという。 客席を見渡し、ふと視線を舞台に戻すと、日本でお遊戯程度にバレエを習っている長女が踊っていた。

目を閉じて恍惚とした表情で、ふざけているのか、真剣なのか、それとも何か神がかりなのか。何やら歌まで歌い始めたので、さすがに注意した。ガイドの話を聞いていた欧米系の観光客には、迷惑だったに違いないが、ほほ笑んで見守ってくれていたことにほっとした。フランスで私は子どもの言動に、やや過敏になっていた。

今思うと、廃墟の舞台で独り歌い踊る長女は、小鹿のように細長い手足をしなやかに伸ばして、なんだか古代遺跡に宿る妖精のように、美しかった。

彼女なりに、いや、彼女にしか感じられない古代からの信号のようなものがあったのだろうか。初めての海外旅行の緊張から、少し解放されていたのは確かだろう。
 
この日のコドモたちは、前日までのフライトとアヴィニョン観光の疲労も、ホテルでのトラブルのショックも引きずる様子はなく、ひとまず元気でいてくれるのが何よりありがたかった。

この街の歴史も、アルルの女も、ゴッホも知らず、興味もない長女にとって、親に従って辛抱強く歩いた後に、冷たいジェラートのご褒美をもらえることが、唯一と言っていいお楽しみだった。そこに踊る喜びが加わったとて、(迷惑をかけない限り)何が悪いことがあるだろう。

周囲の目を気にし過ぎて、無粋なことをしてしまったかもしれない。

アルルの日差しは強烈だった。ゴッホが描いた炎のようなひまわり。
あれは実は、アルルの燃える太陽だったのではないか。



 
古代劇場の外で、石畳の坂道を純白のレースでふんだんに飾り付けられた衣装を着た、美しい黒髪を持つ、美しい女性とすれ違った。
「アルルの女」だ。一瞬、見とれてしまった。

街中の「アルラタン博物館」の受付に、似たような民族衣装を着けた女性がいたから、彼女も出勤途中だったのかもしれない。

小さな野外劇場のような場所があると思ったら、すぐそばに停まっていたトラックの中に、黒々とした動物を見かけてぎょっとした。恐らく闘牛。世界的な動物福祉の潮流の中、本格的な闘牛は今や本場スペインでも減っているのに、アルルではいまだに、独自の歴史と文化を尊重しているという。

ゴッホが描いたカフェテラスは大変な喧騒で、黄色い壁と屋根をおびただしい花が飾っていた。ゴッホが一時期入院していた病院をカルチャースペースとして建て替えたエスパス・ヴァン・ゴッホもやはり、観光客であふれかえって、ゴッホが描いたとおりに再現された中庭で、皆が写真を撮っていた。我々もさくっと記念撮影をして、絵葉書を買って早々に抜け出した。


ゴッホが描いたカフェテラス

ゴッホがアルルで過ごしたのは晩年(といっても30代半ば)の15ヵ月間に過ぎなかった。この間に約200枚の油絵、100枚以上の素描と水彩画を描き、画業の全盛期を築いた。私とほぼ同い年だったことに気づいたのは、だいぶ後だった。

アルルの女、闘牛、ゴッホ。実態があるのか、ないのか。
この街の得体の知れない濃密なイメージは爛熟して、世界中から人々を惹きつけ続けている。


<5>に続きます。
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