【コドモハカセと記者の旅】時の地層、アルルをアルク
【登場人物】
コドモ:長女4歳、次女1歳。
ハカセ:40代の建築史家。合理主義者。
私:30代の報道記者。転職しようか悩んでいる。
【これまでのこと】
昨年9月、家族4人でフランスを旅した時の記録(記憶)。最初の目的地アヴィニョンでは、教皇庁宮殿で悲鳴を響かせるコドモにストレス爆発。2日目に訪れたアルルでは古代ローマの遺跡やゴッホゆかりの地をめぐり、「アルルの女」にも出会った。
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アルルは同じ街にいながら、いくつもの時代を行ったり来たりできる街だ。
中心部のレピュブリック広場にあるサン・トロフィーム教会の内部は、壁が防音になっているのかと思うほど、内部に入った瞬間に静けさに包まれた。ロマネスク教会らしい柔らかなフォルムと、ゴシックのとんがった雰囲気が調和した建物。
プロヴァンスのロマネスク教会といえば、ラベンダー畑の中に楚々としてたたずむセナンク修道院が有名だが、あいにく、今はラベンダーには季節外れな9月。しかも清貧を信条としたシトー会の修道院は、公共交通機関ではなかなかたどり着けない奥地にあることから、子連れ旅の今回は外していた。
だから、アルルのど真ん中にありながら、ロマネスクの静謐な雰囲気を伝えてくれるサン・トロフィーム教会は、まさにオアシス的だった。回廊の円柱には精緻は彫刻が施され、地元の学生なのか、十数人の若者たちが中庭側に向かって腰掛け、スケッチブックに写生していた。手元をそっとのぞいてしまう。みんなとても上手だった。
市庁舎の中にある狭い階段を降りていくと、古代ローマのフォーロム(公共集会場)が地下に広がる。紀元前40年ごろの創建とは思えない堅牢なつくりで、人々が賑やかに行き交う頭上の地上と比べると、ここもまた別天地だった。2000年以上の間、さまざまな人がさまざまな思いを持って、暑すぎる地上の光を避けて、ここに集ったのだろう。
ローヌ川の方に向かう。川のすぐ近くにある4世紀のコンスタンティヌス帝時代の共同浴場は、色あせたレンガに赤と白の縞模様がかすかに見て取れて、迷路のように入り組んだ部屋の数々が、かつての一大社交場の華やかさを伝える。
ヤマザキマリ氏の漫画「テルマエ・ロマエ」を思い出す。ルシウスのような浴場技師が、サウナや床下暖房といった設備も作ったのだろうか? 今は廃墟と化した浴場は、工事現場のような階段で辛うじて上り下りできるようになっているがアップダウンが激しく、長女が転げ落ちないかひやひやした。次女はもちろん、ひたすら胸元の抱っこひもに格納。足腰の重みが増して、前日のアヴィニョンの悪夢のような感覚がむくむくと湧き上がってきた。ああ、ここで風呂に入れたら…。
古代遺跡はロッククライミング要素が強く、次女を抱えていることによる身体的負担が大きい。それだけに、地面に降ろして歩かせられる場所だと、途端に解放感に包まれる。中心部から少し離れたアリスカン(ローマ墓地)はそんな場所だった。うっそうとした木々の合間から木漏れ日が降り注ぐ幅広い参道は、日本の神社と似ていた。
アリスカンの一帯は、古代から中世にかけてヨーロッパ有数の墓所として繁栄したが、街の中心部から来る途中に踏み越えてきた線路が象徴するように、時代とともに分断され、芸術的価値の高い石棺も散逸した。
訪れる観光客もまばらな寂しい廃墟に、だからこその詩情が漂い、1888年の晩秋、ここでゴッホとゴーギャンが並んで写生したと伝わる。 長い参道に、無数の石棺が並ぶ。時折、小さな礼拝堂のような場所がある。葬られた多くの人は、どこに行ったのだろうか。
コドモたちを自由に走り回らせて、ゆったりと進んでいくと、突き当たりに12世紀のサントノラ教会があった。白い石壁に高い天井、シンプルな水色の比較的新しそうなステンドグラスが清々しかった。癒しという言葉がしっくりきた。
長い参道を引き返し、そこから街はずれにある県立古代アルル博物館まで足を延ばすことにした。アリスカンと博物館とは、直線距離で1.2キロほど。大人ならどうってことないが、コドモを連れて歩くにはいかにも過酷だった。
足腰の窮状にたまりかねて、ハカセに次女を肩車してもらったりしたが、泣きわめいてどうにもならない。長女の方は炎天下を懸命に歩いた。大量の飲み水をハカセのリュックに詰めていなかったら、熱中症になっていただろう。周遊バスを使うべきだった。
まだ甘ったれなところもある長女は、今回の旅で意外なほどの粘り強さを見せていた。これは帰りに必ず、ジェラートを食べさせてあげねば。
県立古代アルル博物館は、青い三角形のような外観がかなり印象的。荷物チェックを受けて入館すると、とりもなおさず水をぐびぐび飲んだ。次はトイレ。オムツ替えシートと思しき台はひやりと冷たい大理石風で、固い板に次女の頭を打ち付けないよう注意しながら手早く処理した。なんだかいろいろな点で前衛的で、風変わりな博物館である。
呼吸を整え、いざ館内を巡ると、市街地から離れているのが勿体ないほどに充実した展示内容だった。巨大なモザイクの床面が圧巻。古代ギリシアで始まったとされ、中世にかけておもに地中海沿岸で流行したモザイク技法は、小さな石やガラス片のひとつひとつが職人の手で、丁寧に嵌め込まれていく情景が目に浮かぶ。膨大なジグソーパズルを完成させるような心持だったのだろうか?紀元前後といえば、日本はまだ弥生時代だったことを思うと、この古代ローマ時代の人々のデザイン性と技術力の高さには驚かざるを得ない。
街中で見てきた円形闘技場や古代劇場が、ミニサイズのレプリカになっているのを見た長女も「あ、これさっき見たやつだ」と声をあげた。最古と伝わるカエサル像は、引き締まった唇に少し上向きの目線がかっこよかった。
冷房が効いた博物館で体を冷やし、コンディションを整える。ここからまた外に出るには勇気が必要だ。炎天下を駆け抜けるようにして市街地に戻り、「あれ」を探す。そう、心待ちにしていたジェラート・タイムだ。
チョコミント、ピスタチオ、チョコチップ入りのバニラ、ストロベリー。どかどかとカップに盛られたジェラートを小さなスプーンですくい、次々と口に運んだ。まだちゃんと歯磨きができない次女にも、ほんのひと舐めさせてあげた。冷たさと甘さにびっくりして、ぎゅっと目をつぶった。
西日が強くなり、夕刻が近づいてきた。日が高いうちに引き上げることにして、ローヌ川沿いの遊歩道をアルル駅の方向に向かって歩いた。オレンジの光彩を増す西日が、鋭く川に反射してまぶしい。
このローヌ川から2011年、約2000年前の古代ローマの船が引き上げられ、そのままの姿で県立博物館に展示されていた。幾重にも歴史が集積したアルルの足元には、まだまだ知られていない宝物が埋まっているのだろう。ゴッホが描いた描いたような夜景も見たかったし、「アルルの女」についても、もう少し知りたかった。後ろ髪を引かれる街だった。
川は大きく蛇行して、コンテナを積んだ貨物船が連なり、ゆったりと下って行った。川は物資だけでなく、人の心も運んでいく。過去へ、未来へ、ふるさとへ。日本の自宅の近くで、小さな川沿いを家族で歩いた夕暮れを思い出した。
<6>に続きます。
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